徴用された父と共に9〜15歳まで軍艦島で過ごしたというク・ヨンチョルさん(87)は「その島は『端島』という名があったが、私たちは『幽霊島、監獄島』と呼んでいた」と証言した。また「『軍艦島』という名前自体は依然として拒否感をもよおす表現」と明らかにした。
もう一人の徴用被害者遺族である太平洋戦争被害者補償推進協議会のイ・ヒジャ代表も「言葉では表せない歴史の痛みが映画として作られたのはこの時代の大きな財産」と感想を伝えた。
イ代表は「多くの若者が映画を通じて日本が何を間違い、何を反省しなければならないのかを学び、もう一度歴史の痛い日を振り返る教訓を得てほしい」と話した。
一方、映画『軍艦島』は強制徴用されて地獄のような生活を強いられた朝鮮人が脱出する姿を描いた映画だ。
http://japanese.joins.com/article/705/231705.html