(続き)

「脅威だということによって、中国の習近平政権でも『俺のものなんだから入らないわけいかないじゃないか』という国民の期待に応える部分がある。日本も『俺たちのものなのに入ってきてけしからん。また入ってきただろう』と言って…。

こういう脅威をお互いに作って、それをそのまま報じて、脅威だ、脅威だとやって、その政権をある意味安定させているわけです」

「私は中国が本当の脅威なのか、もっと冷静に分析する必要があると思います。まったく脅威がないというつもりはないですよ。確かに軍事費は伸びている。でも経済的には国内総生産(GDP)が伸びている比率よりもむしろ低いくらいです。

日本も経済成長の時代、軍事費が2桁の割合で伸びて、中国から脅威だといわれていた時期があります。日本もほぼ1%。2%にしたいという話もあるけど、中国だって1・4%なんですよ。そう考えると、めちゃくちゃ大きいわけではない」

「脅威というものがまったく存在していないというつもりはないけど、政治的に脅威を作り上げている部分もある。本来、国民の1人1人が冷静になった方がいいと思うし、中国人は日本が好きですよ。日本に来た中国人は、みんな日本びいきになって帰っていくんです」

「ですから、どんどん日本に来させればいい。中国政府がなんて言おうとも、国民が好きな日本と本気で戦うのはあり得ない。尖閣を乗っ取るなんて話は作り話のようです。一言で言うと、出来レースをやっていて、その辺を冷静に見るべきだ。

今まで米国一辺倒に寄りかかっていた考え方を少しアジアの方向にも移して、中国とどうやって対話をうまくやるかということにもっと力を注げばいい。偶発的な衝突が起きないよう何層にもわたって信頼関係の構築を図っていこうじゃないかという努力が必要なんじゃないかと思います」

(政治部 奥原慎平)



鳩山由紀夫(はとやま・ゆきお) 昭和22年2月11日、東京まれ。曾祖父は衆院議長を務めた和夫、祖父は一郎元首相、父は威一郎元外相、弟の故邦夫氏も総務相などを務めた。

東大工学部卒、米スタンフォード大工学部博士課程修了後、専修大助教授などを経て61年の衆院選旧北海道4区に自民党公認で出馬し、初当選。以後、当選8回。平成5年、宮沢喜一内閣不信任案に賛同し、自民党を離党。新党さきがけ結党に参加し、細川護煕内閣で官房副長官を務める。

8年に邦夫氏らと旧民主党を結党し、菅直人氏とともに代表に就任。10年に新民主党を結党し、11年に代表に就く。21年に「政治とカネ」の問題による小沢一郎代表の辞任に伴い、3回目の代表に就任。同年8月の衆院選で民主党は大勝、政権交代を果たし、第93代の首相に就いた。

首相就任前に米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「最低でも県外」と述べたが、在任中に実現できず、22年6月に退陣。わずか8カ月あまりの内閣で終わった。24年の衆院選に出馬せず政界を引退。その後、一般財団法人「東アジア共同体研究所」を設立し、理事長を務める。25年に「由紀夫」から「友紀夫」に改名した。

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インタビューに答える鳩山由紀夫元首相=東京・永田町の事務所(酒巻俊介撮影)

(おわり)