昔は東海にも塩田があった。「まさか?」「本当に?」あなたはこう言って信じられないという表情を浮かべるかもしれない。私たちの記憶の中に「東海=塩」という等式は成り立たないからだ。

塩は西海で生産する天日塩を私たちの固有方式と思っている人が多い。しかし、天日塩は伝統方式で製造した塩ではない。天日塩の歴史はせいぜい100年ほどで、日帝が残した残滓の一つだ。

日帝は大韓帝国の経済権を奪うために紅参(朝鮮人参)、タバコ、塩の専売に関心を持った。当時、我が国と日本は海水を沸かして作る塩、すなわち煮塩を生産した。この方法は塩の生産費が多くかかり国家が独占しても大きな利益を残せなかった。

また、清国からこっそりと持ってきた清塩の価格が低かったので、日帝は塩生産費削減のために相当な努力を傾けた。その結果、日本植民地の台湾の塩製造方法、すなわち天日塩製造法を我が国に導入することにした。日帝は初め仁川(インチョン)に天日塩田を作り、この実験はとても成功した。その後、西海のあちこちに天日塩田ができ、結局、日帝は塩専売を施行することができた。塩の大量生産で日帝は経済的に大きな利益を得た。こうして私たちの塩である煮塩は天日塩に席を渡して完全に痕跡をなくすことになった。これが天日塩の歴史だ。

残念なことに私たちの塩である煮塩を素材に扱った本はそれほど多くない。
(中略:煮塩が出てくる本の紹介)

このようにして作った「煮塩」は天日塩よりあまり塩辛くなくて栄養もさらに豊富だ。もちろん、私たちの伝統塩である煮塩がすべての面で天日塩より良いと見ることはできない。しかし、私たちの昔のものは何か、正しく知ることが必要だ。

最近、国内で<軍艦島>という映画が開封された。私たちは軍艦島を残忍な歴史と記憶する。日帝は戦争に必要な石炭を採掘するために朝鮮人を強制的に徴用し、多くの若者が軍艦島で名もなく死んでいった。しかし、日本の歴史は私たちと全く違う。2015年7月、ユネスコ世界遺産に軍艦島を「日本の明治維新時代の産業革命施設」に上げた。

同時期、ユダヤ人もまた、私たちと似た苦痛を味わった。ナチの蛮行も日帝と大きく異ならない。しかし、結果は私たちと正反対だ。戦犯のドイツは誤りを謝ったが、日本はそうではない。同じ事件にもかかわらず、なぜこの様な結果を招いたのだろうか?

筆者は私たちが私たちの歴史を世界へ粗雑に広報したためと考える。ユダヤ人はナチの大虐殺行為、すなわちホロコースト(Holocaust)を主題に映画・小説・ドキュメンタリーなどを作って全世界に伝えた。そのような側面から見る時、<軍艦島>もやはり私たちの辛い歴史を知らせる小さな努力と考える。

最近、この様な試みが少しずつ活発になっていることを非常に肯定的に評価する。私たちは正しい歴史を知らなければならず、歴史を勉強しなければならない。それでこそきちんと広報できる。作家はこの様な歴史を積極的に知らせなければならず、読者は関心を持つことで私たちの歴史が正しく立てられる。この様な趣旨で<文学で習う私たちの歴史>コーナーを企画した。

チョン・ジョンヨン/作家
http://www.deconomic.co.kr/news/photo/201708/22320_13897_557.jpg

ソース:デジタル経済(韓国語) <チョン・ジョンヨン作家の「文学で習う私たちの歴史「>昔には東海にも塩田があった。「正しい歴史
http://www.deconomic.co.kr/news/articleView.html/?idxno=22320

関連スレ:【書籍】 天日塩が伝統の塩?百年前には無く日帝が台湾真似て天日塩田作った〜「小さいけれど大きな韓国史、塩」★2[08/04]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1344087102/