避難訓練をすることで、好戦的な国になるかのような言いぶりではあるまいか。これは、戦後レジームにおかされた日本の悪い癖だ。東日本大震災以前の原発事故対処訓練然(しか)り。
訓練をすれば、あたかも安全ではないような印象を与えるため、そんなことをしてはならないという空気があった。
非難されるべきは、むしろ、そこにある危険に目をつむり、訓練をしないことだ。これまでも政府は自衛隊にPAC3やSM3を配備し、一見、北のミサイルに対処している体ではあった。だが考えてみてほしい。
仮にこれで迎撃できたとしても、国土上空でのことであれば、空から破片が降ってくるのだ。そうした現実を、少なくとも、この6、7月まで、政府が国民に直視させることはなかった。
国民参加のミサイル対処訓練開始は、それがようやく一歩改善されたことを意味する。今年3月、秋田県男鹿市で行われた全国初の訓練の様子を映像で見た。
一度(ひとたび)ミサイルが発射されれば着弾まで10分以内とされるにもかかわらず、避難開始までに時間がかかり過ぎていたり、避難先の公民館に大きな窓があったりと、課題が多かったことも事実だ。だがそれも、訓練を行ったからこそ、具体的に見えたことだろう。
3・11以降、防災担当官として元自衛官を採用する自治体が増えている。防災に限らず非常時に備えた訓練を重ねてきた元自衛官を危機管理の場で活用する意義は大きい。どれだけ訓練しようとも実際にミサイルが落下すれば、現場の混乱は避けられまい。
しかし、そこに至るまで物心両面の備えがどれだけあったかで混乱の度合いは大きく変わる。いかに訓練の質を上げ、被害を局限するか。真の脅威はむしろ、脅威を認識させないことなのではあるまいか。
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【プロフィル】葛城奈海
かつらぎ・なみ やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、キャスター、俳優。昭和45年東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会広報部会長、林政審議会委員。著書(共著)に『国防女子が行く』(ビジネス社)。
http://www.sankei.com/column/news/170817/clm1708170006-n1.html
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