辛東主(シン・ドンジュ、重光宏之)前ロッテホールディングス副会長(63)が執筆した父・辛格浩(シン・ギョクホ、重光武雄)ロッテグループ名誉会長(95)の一代記『私の父、辛格浩』が来週出版される。

辛名誉会長の出生から日本に渡った過程、ロッテを設立した背景などの一代記が書かれている。メディアのインタビューと口述の資料をベースにした内容だ。

辛前副会長側は「本の出版は昨年から準備してきたことであり、兄弟の問題とは関係がない」とし「父の一代記を通じてさまざまな誤解を解こうと考えて整理した」と説明した。しかし本のあちこちに弟の辛東彬(シン・ドンビン、重光昭夫)ロッテグループ会長(62)に対する批判が見える。

辛前副会長はこの本で執筆の理由について、長男として父が自ら誇るのを避ける業績を整理したと何度か説明している。

蔚山市(ウルサンシ)蔚州郡三同面ドゥン基里623番地にある辛格浩名誉会長の生家での生活から、日本に渡ってまた戻った話、韓国でロッテを設立した話まで順に整理している。

目を引くのは辛前副会長が父の精神の健康に関する従来の主張を翻している部分だ。辛前副会長は父の精神は問題がなく経営の意志があると主張してきた。しかし本では「父の記憶の減退は2010年に始まった」と告白している。

また「父の記憶はすでに数年前に破片化し、散って消えてしまった。記憶の証票(Momento)を提示しなければ父は昨日のことを今日思い出せない」と表現した。

こうした父の状態を隠した理由については「父の記憶さえ戻れば凄惨で悲劇的な状況を元に戻せることができるはず」と考えたためだという。また、兄弟、家族の間で生じた経営権争いを「父の記憶が薄れたスキを利用して生じた簒奪の陰謀」と規定している。

本によると、辛名誉会長の記憶力は2011年3月の東日本大震災後に悪化した。「東日本大震災を見た彼は以前とは違い、なかなか日本に行くことができなかった」と伝えた。

その後、辛名誉会長は経営の現場からも遠ざかった。記憶力の減退は股関節の手術が決定的だったと説明した。

辛前副会長は「2013年12月、父は小公洞(ソゴンドン)ロッテホテルの執務室で倒れ、股関節の手術を受けた。90歳を超える年齢で全身麻酔をして手術を受けた後から、彼の記憶のカーテンが降り始めた」と伝えた。

その後に発生した一連の事件については「唯一父側に立った」叔父の辛宣浩(シン・ソンホ、重光宣浩)氏の言葉を借りて、「韓国と日本の部下が背信し、息子一人と妻が背を向け、娘と親戚までが肩を持たない、一度にすべてのものを失った状況」と主張した。

辛前副会長は本で「記憶がない父をつかまえてロッテの経営現況を繰り返し説明した後、メディアのインタビューに応じることになった」という報道についても釈明した。

辛前副会長は「父はグループと系列会社の現況を毎日報告を受ける午後3時に最も満足するような表情を見せたので、役員に毎日報告を指示した」と書いた。

叔父の辛宣浩氏が伝えた辛名誉会長の国籍をめぐるエピソードもある。日本の数人の知人は辛名誉会長に日本に帰化することを勧めたが、その中には日本首相を務めた人物もいたという。

しかし彼は「そういう話はするな。気分が良くない」と一喝した。知人らはむしろ「重光さん(辛名誉会長)は男らしい。あとくされがない」と笑ったという。

辛前副会長は2015年の騒動でロッテ経営権から完全に排除された後、取締役会と株主総会を通じて絶えず反撃しているが、これという成果はまだない状況だ。

本の後半には在日同胞事業家だった父の辛名誉会長と韓国政府の因縁にも触れていて目を引く。「韓国政府の背信」と題した章で、朴正熙(パク・ジョンヒ)政権の序盤期、政府の勧誘で韓国で製鉄事業をする計画があったが「韓国政府に裏切られて白紙になった」と伝えた。

http://japanese.joins.com/article/462/232462.html
http://japanese.joins.com/article/463/232463.html

>>2以降に続く)