>>1の続き)

ある日、辛会長が知人の紹介で東京大学で朴泰俊(パク・テジュン)氏と初めて会ったが、当時、朴氏が総合製鉄所の企画および建設責任者に内定していると自分を紹介し、このため辛会長はこれまで熱心に作成してきた資料を朴泰俊氏に渡すことになったと記録した。

「朴正熙の強権とホテルロッテ」という章では、1970年11月13日に辛会長が朴正熙大統領から突然呼び出され、ソウル行きの大韓航空機に搭乗したという内容がある。

青瓦台(チョンワデ、大統領府)に直行した辛会長に朴大統領は「世界どこに出しても遜色のない観光ホテルを建設して経営しなさい。政府が可能なすべての支援をする」と伝えた。

辛会長は当初迷ったが、後ろの席に座っていた当時の李厚洛(イ・フラク)駐日大使の強要でどうすることもできず、朴大統領の強権を受け入れるしかなかったと説明した。

本の出版についてロッテの関係者は「グループでも自叙伝の出版の話が出たことはあるが、普段から内容があることを重視する辛名誉会長は自叙伝などを一切出せないようにしていた。どういう意図があるのか疑わしい」とし「総括会長に対する敬意と善意から出版されればよい」と話した。

この関係者は「詭弁と虚偽事実を主張するための道具として父の業績と人生を活用している」と非難した。

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辛格浩(シン・ギョクホ)ロッテ名誉会長の一代記『私の父、辛格浩』の表紙
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若い頃の辛格浩名誉会長の一家。(写真=21世紀ブックス)

(おわり)