>>1の続き)

国外に「厄介者」を出しても新疆問題を世界的に認知させる結果となり、さらには軍事知識を持ったウイグル人が脅威となって中国に帰ってくる――。

それゆえ中国政府は、新疆の地で漢人に同化するか、家と土地を明け渡して中国のどこかで底辺労働者になるかの二択をウイグル人に突き付けたのである。

共産党の「目の上のこぶ」

ウイグル人のワタン(故郷)はいま悲惨な状況に陥っている。

新疆ウイグル自治区カシュガル地区カルグリック(葉城)中心部にあるウイグル人居住区では、美しかった青壁の街並みが人為的破壊によって瓦礫と化している。17年夏に南新疆を旅した日本の若者が、破壊されたこの街の風景を撮影した。

カルグリックはシルクロードの「西域南道」が通る交通の要所で、ホタン(和田)からカシュガルまでの中間地点にあり、チベットと新疆を結ぶ新藏公路の出発点でもある。過去には住民はウイグル人が9割を占め、全国有数の貧困地域だった。

日本人青年は語る。

「街のバスターミナルは閉鎖され、移動手段は列車しかなかったのに、この駅で下車したのはわずか5人ほどだった。駅を降りてすぐ警察署まで連行され、『何をしに来たのか』と職務質問が始まり、パスポートのコピーを取られ、1時間以上拘束された上に『一刻も早くこの街を出るように』と言われた」

青年によれば、街を観光しようにも交差点ごとに警官がいて、通りを歩いているだけで何度も身分証提示を要求された。行き交う車は「対テロ」戦を行う武装警察「特警」の文字が記されたものばかり。街の規模から考えると住民があまりに少なく、異常な雰囲気だったという。

カルグリックは特に中央政府に目を付けられている街だ。16年9月、カルグリック県公安局長をはじめ、多数の警官がウイグル人反政府活動家の自爆攻撃で死亡する事件が起きた。公安局長らは反政府組織の地下兵器工場を捜索した際、爆殺された。

新疆ウイグル自治区党委員会は事件後、カルグリック県党書記らの解任を決定。中国メディアは事件を公にはしなかったものの、自爆攻撃直後の肉片が散乱する凄惨な現場写真がネット上に流出した。カルグリックでは14年6月にも、反政府活動家が公安局ビルに車で突っ込み多くの死傷者を出している。

カルグリックは、ウイグル人反政府活動家を多数輩出した土地だ。改革開放後の最初の大規模反政府暴動「バレン郷事件」は90年、この地のモルラ(イスラム宗教学者)だったアブドゥルハキム・マフスムの下で学んだ学生たちが起こしている。

彼の学生ザイディン・ユスプが、バレン郷事件を起こすために結成した「東トルキスタンイスラム党」は、彼の死後アフガニスタンでその遺志を継いだ者たちによって再結成され、現在シリアで軍事訓練を行っているウイグル人組織「トルキスタンイスラム党」へと変遷を遂げていく。

アブドゥルハキムに感化され、師と同じ名を名乗ったアブリキムハン・マフスムもカルグリック出身のイスラム宗教者で、トルコ最大のウイグル人亡命者互助組織「東トルキスタン・教育と連帯の協会」結成に尽力し、イスタンブールでウイグル人亡命者の団結と相互扶助を呼び掛け続けた。

カルグリックは、中国共産党にとって目の上の大きなこぶだったのである。

安住の地はどこにもない

近年カルグリックのみならず、新疆各地でウイグル人居住区が無残な廃墟となっている光景を目にする。その典型がカシュガル旧市街だろう。

モロッコの世界遺産フェズの旧市街にも似た、本来は世界遺産に登録されてしかるべき歴史的街並みだったが、中国共産党はウイグル人居住者の多くを追い出し、一部を残して「テーマパーク化」した。

カシュガル旧市街の破壊には漢人の学者さえ反対したが、共産党は決して彼らの見解を聞こうとはしなかった。

文化財級の歴史的景観を破壊した点では、北京や上海の都市開発と同様だとの意見もある。北京や上海などの都市では街並みが破壊され郊外に住居移転が余儀なくされても、街自体の拡大と経済発展によって、生活は維持向上し続けられる。

しかし新疆の場合、郊外に移転しようにも移転先の経済基盤は脆弱な上、新疆各都市の中心部に移住してきた漢人コミュニティーがウイグル人を排除するため生計を維持できず、多くの人々が路頭に迷うことになった。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/2017/08/18/magw170818-uigur03.jpg
「テロリストは現代の売国奴だ」と書かれたホタンの街のプロパガンダポスター SHUICHI OKAMOTO FOR NEWSWEEK JAPAN

(続く)