1960年9月11日付の朝鮮日報社会面は非常に面白いデモについて伝えている。ソウル市西大門区のある小学校6年6組の児童24人が担任教師を糾弾するデモを行ったそうだ。二人の児童がけんかをしたところ、担任がある一方をえこひいきしたことがきっかけになったらしい。

これを不当と考えた児童たちがクラス委員を中心に集団で職員室と校長室に乗り込んでいったという。同じ年の6月15日には永登浦区の別の小学校でも200人以上の児童が集まり「雑費が高すぎて学校に通えない」としてデモを行ったという。

1960年4月19日の「4月革命」後に発足した民主党政権は「デモで夜が明けデモで日が沈む」とやゆされた。その前の自由党時代にはデモの発生件数は年間50件ほどだったが、民主党政権ではわずか10カ月で1000回以上のデモが起こった。

古い政権を崩壊させ、新しい政権の発足に貢献したと自負する学生や市民たちは毎日のようにデモを行い、政府にさまざまなことを要求していたのだ。

当時の大学生たちは「南北統一交渉」から「下宿代の引き下げ」に至るまで、さまざまな要求を掲げていた。警察官や兵士たちもデモに加わった。互いに食い違った主張をする大学生たちが衝突し、暴力沙汰になったこともある。

しかし民衆に負い目を感じていた政府はデモに対して何もできなかっただけでなく、張勉(チャン・ミョン)首相は大学生の代表に会った際「しっかり政治をやれ」と説教され、国防や外交問題にまで口出しされる始末だった。

昨日は大統領府近くの鍾路区C雲孝子洞の住民が「集会やデモはもうやめろ」と訴えるデモを行った。この地域は昨年キャンドル集会が始まってからデモの名所になってしまい、最近も1カ月に300件ほどデモが行われるという。

住民は「騒音や大規模行進、テントへの立てこもりにはもう我慢できない」と訴えている。先日も記者がこの近くを歩いていると、デモ隊が鍾路消防署前に集まり何かスローガンを叫んでいる光景を目にした。

消防隊員たちは「消防車が出動するので場所を空けてほしい」と繰り返し懇願していた。この地域周辺には国立盲学校やろう学校など障害者のための施設もあるため、デモによる混乱で事故も懸念されている。

先月には「良心囚釈放委員会」と名乗る団体が李石基(イ・ソッキ)元統合進歩党議員やハン・サンギュン元全国民主労働組合総連盟委員長の釈放を要求し、囚人服を着てデモ行進を行った。

行進の中からは「キャンドル集会がなければ文在寅(ムン・ジェイン)大統領は今の地位に就けなかった」などの声も聞こえてきた。彼らは現在の大韓民国を「革命進行中」とでも考えているのだろう。

政府が彼らを「キャンドル革命の友軍」と見なす限り、「デモはやめろ」と求めるデモをいくらやってもおそらく今の状況は変わらないだろう。

金泰翼(キム・テイク)論説委員

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/08/18/2017081801121.html