軍艦島は居住設備の整った超近代的な町だった。
若い炭鉱夫とその家族が多かったため、子供がウジャウジャいた。
子供達は軍艦島の中を遊び回った。
その子供たちは今還暦を超え、70歳を越えている人たちもいるが、みな
軍艦島での子供時代を懐かしむ。
人々は連帯感があり、大人はみんな優しく、お祭り・盆踊りなどの催し物もたんとあった。
広場で時々映画の映写会があり、みんな家族総出で立ったまま見た。
当時コンクリート製の団地に住み、トイレは水洗なんてところは滅多になかった。

炭鉱夫の給料は大学出のサラリーマンの三倍。
なり手が多くて炭鉱夫になどなかなかなれるものではなかった。
小説家の勝目梓は炭鉱夫だったが、採用係に賄賂を渡して採用してもらったと語っている。