1947年に英国から独立したインドは、米国との関係が円満ではなかった。最初は非同盟路線を掲げ、米ソの間で「綱渡り」をした。しかし71年、仇敵(きゅうてき)パキスタンとの戦争(第3次印パ戦争)で米国がパキスタンを支援するや、反米へと向かった。

インドはソ連との協力を強化し、米国・パキスタン連合をけん制した。米国は、インドが74年に最初の核実験を行ったのに続き、98年に2回目の核実験を敢行したことを受け、強力な制裁でインドを圧迫した。

冷え込んでいた米印関係は、ソ連の崩壊と中国の台頭を経る中で急変した。米国は、中国けん制や対テロ戦争などのためにインドとの軍事協力が必要だった。62年の国境紛争で中国と戦争をしたインドは、ソ連の代わりになる味方を求めていた。

その結果、米国は2006年、インドを事実上の核保有国と認める核協定をインドにプレゼントした。その後米国は、ロシアを追い抜き、インドにとって最大の武器提供国となった。14年からはインド洋で、米・印・日が中国を念頭に置いた大規模な合同演習を行っている。

最近インドは、ヒマラヤの国境で中国と再び武力衝突しそうな兆しが表れるや、山岳戦部隊を米国に送って訓練を行った。

かつて米国と激しい戦争を行ったベトナムも、長年の怨恨は後にして対米関係改善に乗り出した。14年に米統合参謀本部(統参)議長のベトナム訪問を許したが、これは43年ぶりのことだった。

当時、マーチン・デンプシー統参議長はホーチミン市で「ベトナムに対する武器禁輸措置を解除したい」と約束した。ベトナムと米国は最近、米空母のベトナム寄港にも42年ぶりに合意した。

「怨讐(えんしゅう)」だった米越の蜜月は、南シナ海における中国の軍事的台頭がもたらしたものだ。

インドは1962年に、ベトナムは79年に、それぞれ中国と戦争した。中国と国境を接している両国は、中国が領土や安全保障の問題をどのように解釈し、どれほど攻撃的に出てくるかを、血の代価を払って学んだ。

韓国も6・25(朝鮮戦争)で中国と戦った。中国が50年に6・25へ参戦し、62年にインドと戦い、79年にベトナムを先制攻撃した理由は、どれも同じものだ。中国の戦略的利益が深刻に侵害される前に先んじて手を打たねばならないという、独特の判断によるものだった。

防衛兵器の高高度防衛ミサイル(THAAD)をめぐって中国が「戦略的利益の侵害」うんぬんと主張しているのは、尋常なことではない。

「反米」だったインドとベトナムが、ある日突然米国を好きになり、軍事協力を強化しているわけではないだろう。両国が急速に「親米」へと向かった時期は、13年に習近平国家主席が「中華民族の復興」を掲げて就任したころとほぼ一致する。

インドとベトナムは、中国が腕っぷしを自慢するとどういう結果がもたらされるか、歴史的経験として知っている。韓国は、中国の台頭に加えて北朝鮮の核の脅威という、二重苦に直面している。

にもかかわらず、ソウルでは韓米軍事演習に反対するデモが繰り広げられ、駐韓米国大使館を包囲しようとする勢力が街中を動き回った。北朝鮮の核が頭上にあっても、彼らは「インドとベトナムが心変わりした理由」から目を背けている。

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アン・ヨンヒョン国際部次長

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