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●被害の隠蔽・矮小化を図った当局

内閣府中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」の報告書では、混乱による流言飛語と、それに影響された朝鮮人や中国人殺傷事件について、次のように書かれている。

「震災直後の殺傷事件で中心をなしたのは朝鮮人への迫害であった。……2日午後以降に発生した広範な朝鮮人迫害の背景としては、当時、日本が朝鮮を支配し、その植民地支配に対する抵抗運動に直面して恐怖感を抱いていたことがあり、無理解と民族的な差別意識もあったと考えられる。

歴史研究、あるいは民族の共存、共生のためには、これらの要因について個別的な検討を深め、また、反省することが必要である。一方で、防災上の教訓としては、植民地支配との関係という特殊性にとらわれない見方も重要である。

時代や地域が変わっても、言語、習慣、信条等の相違により異質性が感じられる人間集団はいかなる社会にも常に存在しており、そのような集団が標的となり得るという一般的な課題としての認識である」

あの時代に限らず、言葉や習慣などが違う者たちが、流言・デマによってターゲットになりうるということを、よく意識しておかなければならない。それが、関東大震災直後の朝鮮人虐殺の教訓のひとつだと、専門家たちは指摘しているのだ。

追悼式は、そうした教訓を噛みしめる機会でもあるだろう。

ところが小池氏は、記者との何度かのやりとりの中で、朝鮮人の「殺害」や「虐殺」という言葉を避け、あえて「関東大震災という非常に大きな災害、そしてそれに続くさまざまな事情によって亡くなられた方々」という、長々しく大きなくくりに封じ込めて語り続けた。

意図的に朝鮮人虐殺の事実そのものを見えにくくしようとするもくろみがあると言わざるを得ない。

ただでさえ、過去の出来事は歳月の経過と共に風化していく。小池氏のように、震災被害の中に紛れ込ませることによって、事実が忘れられ教訓が伝わりにくくなることを懸念する。

多くの朝鮮人が被害に遭ったことは事実でも、実際に何人が殺害されたのかは、正確な数字がわからない。先の報告書によれば、当時の内務省は「朝鮮人被殺人員」を約248名としていたが、朝鮮総督府東京出張員はこれを前提に「約813名」と算定。

同報告書は「内務省の把握が部分的であることは、当時の植民地官僚の目にも明らかだった」と指摘している。

一方、1923(大正12)年12月に上海の大韓民国臨時政府機関誌『独立新聞』に掲載された在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班の調査の最終報告書には「6661人」とされていた。

関東大震災後の虐殺を検証した『九月、東京の路上で』(ころから)で、著者の加藤直樹氏はこう書いている。

「被害者の数が分からずしまいなのは、第一に当時の政府が虐殺の全貌を調査しようとせず、むしろ『埋葬したるものは速やかに火葬とすること/遺骨は内鮮人判明せざる様処理すること/

起訴せられたる事件にして鮮人に被害あるものは速やかに其の遺骨を不明の程度に始末すること』を打ち出すなど、事件の隠蔽と矮小化、ごまかしに努めたからである」

当時の当局のこうした対応によって正確な被害者数がわからないのをいいことに、朝鮮人虐殺の事実を「なかったこと」にしようとしている人たちもいる。小池知事の今回の判断は、そうした人々を後押し、歴史の隠蔽や歪曲を促進することになりはしないか。

●真の愛国者がとるべき態度は

実際、小池氏の判断に喝采を挙げている人たちもいる。ツイッターでは、「朝鮮人に虐殺された日本人こそ被害者」「朝鮮人はいつまでも被害者面するな」「朝鮮人は被害者じゃなく、日本に居候してる侵略者だ」といった発言をいくつも見た。

朝鮮人虐殺に限らず、負の歴史を打ち消すための言説を振りまいている人は、著名人の中にもいる。最近の例では、美容外科である高須クリニック院長の高須克弥氏がツイッターでナチス賛美を繰り返し、「南京もアウシュビッツも捏造だと思う」と書き込んだ。

こうしたツイートに、「目の覚める思い」「そろそろ勝者の歴史を疑うべき」などと賛意を示し、拡散している人も少なくない。

南京事件も、関東大震災朝鮮人虐殺と同様、人数がはっきりしない。

(続く)