滋賀のウリハッキョ 朝鮮学校で学ぶ ルーツを知り、言葉を習得 私が私であるために

<共生を考える 第9部>

朝鮮学校−−。「『ああ、北朝鮮の学校やろ』『児童は北朝鮮人やろ』というのが普通にあります。出身地はほとんどが韓国ですよと言ったら、皆さんびっくりしはりますね」。鄭想根(チョンサングン)さん(59)は苦笑いする。

夏休み前の7月、大津市木下町の住宅街にある滋賀朝鮮初級学校を訪ねた。正門は閉じられており、門越しに男性の姿が見えた。出迎えた鄭さんは2010年から校長を務めている。

日本で言う小学校だが、そうは名乗れない。自動車学校などと同じ各種学校の扱いなのだ。

低学年の教室をのぞくと、米国人講師による月2回の英会話の時間で、10人ほどの児童がアルファベットを使ったビンゴゲームを楽しんでいた。女児が「一番目にクリアしたの」と鄭校長の元へ駆け寄ってくる。家では日本語を使う子どもたちも、ここでは朝鮮語を話す。通常の授業は朝鮮語で行われる。

幼稚園に当たる幼稚班もある。扇風機が回る教室で、お絵かき中の男児に「ミョッサリエヨ(何歳ですか)?」と聞くと、「タソッサリ(5歳)」。通い出して2、3カ月でも、朝鮮語がある程度話せるという。皆が小さなバイリンガルなのだ。

太平洋戦争後、在日コリアンはさまざまな事情で日本に残り、3世からは母語が日本語になった。3世の金慶哲さん(38)は「ルーツを知ってもらいたくて、息子(4年)を小1から通わせています。一切話せなかった朝鮮語も短期間で吸収しました」と話す。

無料の公立小ではなく、朝鮮学校を選んだのは、コリアにルーツがある「私」が「私」であるためだ。

幼稚班9人(うち男児2人)、初級16人(同7人)。4分の3が韓国・朝鮮籍で、その比率が2対1。残り4分の1が日本国籍。少し前には中国東北部出身の朝鮮族の子も通っていた。教員は校長を含め8人。少人数のため、雰囲気は家族的だ。

大津市近隣の児童・園児が多い。小3以下は校長らがハンドルを握るバスで送迎する。小4以上は公共交通機関で通う。

朝鮮学校を巡る状況は厳しい。北朝鮮による拉致事件やミサイル発射、核実験……。日本政府は高校無償化から除外し、他県では補助金を取りやめた自治体もある。29日もミサイルが日本上空を越えた。政治と外交の問題が、日本生まれのコリアンの学ぶ権利に影響している。

鄭校長が明かす。「高学年になれば、世の中が厳しいんだなとわかります。駅からの登下校になんでソンセンニム(先生)がついてくるんやとか、JRでは最も後ろの車両に乗れよって言われるのはなんでや? なんかあったら車掌さんのところへ駆け込めるからです」

取材中に休み時間の男児がすれ違いざまに「アンニョンハシムニカ!」。可愛い声でそう告げてくれた。アンニョンは「安寧」。「安寧でいらっしゃいますか」は「こんにちは」を意味する。小さな紳士に急いで同じ言葉を返した。

     ×   ×

法務省の在留外国人統計(昨年末)によると、県内の韓国・朝鮮籍は計4690人。韓国籍4329人のうち、6〜15歳は173人。就学者の大半は公立小中学校に通っているとみられる。【エリア編集委員・大澤重人】=中はあす

※「ウリハッキョ」は私たちの学校の意味。

■ことば

滋賀朝鮮初級学校
1960年に滋賀朝鮮中級学校(中学校に相当)として近江八幡市に開校。62年12月に現在地である大津市の紡績工場跡地に移転し、翌63年4月から初級学校、70年代初めから幼稚班がそれぞれ始まった。現校舎は91年9月に完成。中級学校は運営難になり、2004年から休校になった。

https://mainichi.jp/articles/20170831/ddl/k25/040/554000c

http://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/08/31/20170831oog00m010064000p/9.jpg
米国人講師(左)から英会話の基礎を学ぶ低学年の児童たち=大津市木下町の滋賀朝鮮初級学校で、大澤重人撮影
http://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/08/31/20170831oog00m010066000p/7.jpg
廊下に張ってある「私の故郷」という地図を見ると、児童・園児のルーツの地は韓国に集中している=大津市木下町の滋賀朝鮮初級学校で、大澤重人撮影