小池都知事、朝鮮人虐殺犠牲者への追悼文送らず 虐殺が行われた事実を風化させてはいけない

9月1日は関東大震災が発生した防災の日だということはご承知の通りです。

毎年、この日に関東大震災で犠牲になった方々を慰霊するために墨田区の都立横網公園内にある東京都慰霊堂で慰霊祭が行われています。また、慰霊堂の横にある関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の前では関東大震災の時に発生した朝鮮人虐殺の犠牲者を慰霊する式典が行われて来ました。

今年、この朝鮮人犠牲者の追悼式典が注目を集めることになりました。というのも、既に報道でご存知の方も多いと思いますが、小池百合子東京都知事がこの式典に毎年送っていた都知事としての追悼文を送付しないことを決めたからです。

その理由として、都の担当課は都知事としての追悼文は東京都慰霊堂で行う式典に送っており、「知事は朝鮮人も含め全ての犠牲者に追悼の意を表しているので、個別の慰霊式への追悼文送付は見合わせることにした」と説明しています。

都知事自身が判断したことなのかどうか分かりませんが、私はこの判断は非常に危ういと感じました。

まず、慰霊堂の式典は基本的に関東大震災という自然災害による犠牲者を慰霊するものであり、横で行われている虐殺という人の手によって命を落とした方々を慰霊する式典とは明らかに性格を異にしています。

仮に関東大震災の犠牲者の中に虐殺での犠牲者も含んでいるのだとしても、虐殺による犠牲者に特化した慰霊式典を行うことは事件を風化させず、後世に引き継いでいく意味で非常に意味があることだと思います。

そこに都知事として差別や偏見に基づくジェノサイドを二度と起こさない決意を述べる追悼文を送ることは重要なことです。

海外で宗教や民族の違いで迫害や虐殺などが行われているというニュースを目にすると、なんて酷いことをするのかという気持ちになる国民が大半だと思います。そして、宗教や民族の違いで殺されることの無い平和な日本に生まれて良かったと思うのでは無いでしょうか。

しかし、我が国でも100年も経っていない近い過去に、民族の違いで4桁に登る人を集団で嬲り殺す虐殺が行われているのです。他国のことを言えるのかと疑問に思う段階なのです。だから、この事実から目を背けてはいけないとわたしは感じています。

そう考えると今回の小池都知事の判断は、事実から目を背け、虐殺という後ろめたい過去を無かったことにしようとしているかの印象を与える、非常に不適切な判断であったと残念な気持ちでいます。

今回、追悼文を送付しないことになったきっかけは、今年3月の都議会で自民党の議員からこの式典の主催団体が公表している犠牲者数が6千人と過大だとして「追悼の辞の発信を再考すべきだ」と質問されたことによります。

ソース:BLOGOS 2017年09月07日 10:28
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