(続き)

「何より行政の基本的なスタンスは弱者、少数者の側に立つということにあるはずだ。まさに朝鮮人犠牲者はマイノリティーに他ならなかったのだが」

田中の嘆きは、「朝鮮人」という言葉を徹底して避けることで「都民ファースト」として尊重されるべき存在に在日コリアンは含まれないと暗示してみせた、小池の差別と排外の思想と、その責任の重大さを浮かび上がらせてもいた。

真相究明こそ

久保山の追悼式の主催団体「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」の代表で、元横浜市立小学校教諭の山本すみ子(78)は「だからこそ」と強調した。

「朝鮮人虐殺は起きた1923年から隠蔽されてきた。研究者や市民運動が懸命に研究を重ね、事実を少しずつ明らかにしてきたなかで、再び隠蔽されようとしている。いまこそ真相究明の動きを強めなければならない」

政府の中央防災会議の報告書「1923関東大震災第2編」も「殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1〜数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない」と指摘している。

犠牲者の数が不明確であることをもって「虐殺はなかった」などと言い募る声が大きくなる今こそ、その余地を与えている、いまだ不明確である責任を政府に突き付け、調査を求める動きを広めていかなければならない。

8月30日、山本は韓国・釜山に飛んだ。朝鮮人虐殺の被害者遺族が真相究明と賠償を求める遺族会を立ち上げた場に参加するためだった。「会の名前は『関東大地震朝鮮人大虐殺犠牲者遺族会』。ただの虐殺じゃない。大虐殺だ。そこからして認識が違う」

強制徴用や旧日本軍慰安婦、原爆の被爆者の遺族会は存在するが、朝鮮人虐殺の遺族会結成は初めてだという。虐殺の実相を追うドキュメンタリー映画を製作中の在日コリアン2世、呉(オ)充(チュン)功(ゴン)は言う。

「なぜこれほど時間がかかったのか。日韓両政府の問題だが、何も分かっておらず、知らされていないからだ」

取材でたどり着いた7家族で遺族会を立ち上げた。思いを代弁するスピーチが慟哭(どうこく)にも似て重く響く。

貧しい村々を出て釜山港から日本に渡って1年、2年の間に殺され、ほとんどが日本語も分からず、山に海に追われて、殺されました。一家の大黒柱である長男が多く、年齢は20代後半から30代が多かった。

家族は帰ってこなかった長男がどこでどのように亡くなり、どこに骨があるのかも分かっていない。誰が殺したのかも、火事で焼け死んだのか、水に溺れて死んだのかも−。

「これが国を奪われたわが朝鮮民族の悲しい運命だったのです。長男、次男、三男、長男の妻、その4歳の子ども、そしておなかの赤ちゃんを入れて6人が殺された一族もいます。刀でおなかを切り裂かれて殺されたという記録もあります」

呉は1日、横網町公園での光景を目に焼き付けた。「殺された朝鮮人を悼むのではない集会が行われていた。94年を経てなお虐殺の事実を認めず、歴史をねじ曲げる。これは虐殺された朝鮮人を二度殺すことだ」

山本は遺族会の立ち上げが釜山で行われると聞き、行かなければならないと思ったのだという。

(おわり)