X



【小田嶋隆】一部の人々は北朝鮮に腹を立てている だとすると北朝鮮は隣国の人間の知能の働きを低下させるのに成功してしまった[9/11] [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001ねこ名無し ★@無断転載は禁止
垢版 |
2017/09/11(月) 00:26:46.10ID:CAP_USER
北朝鮮によるあきれた振る舞いが相次いでいる。

まず、8月29日の早朝、弾道ミサイルを発射した。

事態を受けて、菅義偉官房長官は同日の午前、記者会見し「午前5時58分ごろ、北朝鮮西岸より、1発の弾道ミサイルが北東方向に向けて発射された。弾道ミサイルは6時6分ごろ、北海道・襟裳岬上空を通過し、6時12分ごろ、襟裳岬の東1180キロの太平洋上に落下したと推定される」と発表した。

で、ミサイル発射の衝撃もさめやらぬ5日後の9月3日、彼らは、通算で6回目となる核実験を敢行した(こちら)。

この実験について、朝鮮中央テレビは、3日午後3時(日本時間同3時30分)から重大報道として発表。約6分間の放映のなかで「ICBM搭載用の水爆実験に完全に成功した」と強調した。

小野寺防衛大臣は、当初、爆発の規模が「70キロトンに達する」との分析を示したうえで、「過去の実験に比べてはるかに大きなものだと認識している。水爆実験だということも否定できない」と述べていた。が、その後、6日の午前に、爆発の規模を160キロトンと上方修正する推定値を発表している。

仮に、この数字が正確なのだとすると、その威力は広島に投下された原爆の10.7倍、長崎の7.6倍になる(こちら)。

一連のミサイル発射と核実験は、国際社会の協調を冒涜する卑劣極まりない暴挙であり、周辺国のみならず世界の平和と秩序を脅かす蛮行だ。

それ以上に、この数年来エスカレートし続けている金正恩氏による軍事的挑発は、北朝鮮という国家が、もはや通常の意味で言う「国際社会」や「外交交渉」の枠組みから逸脱した存在になってしまったことを物語っている。

今回は、深刻さを加える北朝鮮の凶行を、わたくしども一般国民がどんなふうに受けとめるべきなのかについて考えてみようか、と思っている。

まず大切なのは、この3年ほど、執拗に繰り返されている北朝鮮の挑発が、実に神経にさわるということだ。

単純な話、アタマに来る。
ここのところが北朝鮮問題の最も基本的なポイントだ。
要するに、彼らはマジでムカつく不愉快な連中なのだ。

「そんなことは、感情の問題に過ぎない」

という人もあるだろう。あるタイプの専門家は、そういう言い方をしたがる。
しかし、感情の問題だからこそ対処がむずかしいのであって、国際社会を構成するメンバーの誰もが冷静で理性的で紳士的であるのなら、そもそもミサイルは飛んで来ないはずなのだ。

自分が理知的であったり理性的であったりすることを自認している人たちは、感情を軽んじたがる。

「忘れたらいいじゃないか」
「そんなこと気にしなければ良い」
「○○と考えればOKです」
「○○は○○というふうに理解するほうが建設的です」

てな調子で、彼らは、「気持ちの持ちようは、本人の意思の持ち方次第で自在に変えられる」みたいな前提で話をする。

が、人間はそういうふうにはできていない。
私が知る限り、少なくとも日本人の多数派は、アタマに来た時には、怒りの感情に影響を受けたモノの考え方をする。

怒りゆえにふさぎ込んでしまう人もいれば、怒りに酔ってしまう人たちもいる。
あるいは、怒りを抑圧することでひどいストレスを抱えることになる人もいる。
適切に気分転換を図ることができる人間は、むしろ少数派だ。
いずれにしても、感情の問題を、行動に直結させずに済ますことは、簡単ではない。

ミサイルが飛んできた当日、私は、朝日新聞のコメント取材に答えて
「過剰に反応するのは相手の思うツボだ」
という主旨の話をした。

で、案の定というのか、この記事を読んで怒った人がたくさんいたようだった。
そのうちの一部の人たちは、私のメールアドレスやツイッターアカウントに向けて、反論を書いてきた。

怒っている人たちは、自分の怒りを否定されると、さらに怒りを増幅させる。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/090700109/
>>2以降に続く)
0002ねこ名無し ★@無断転載は禁止
垢版 |
2017/09/11(月) 00:27:08.48ID:CAP_USER
>>1の続き)

「怒ってはいけない」
「怒りにコントロールされてはいけない」
「怒りを相対化しないといけない」
「怒りとは別に、理性で思考すべきだ」

というようなことを言われると、怒っている人間は、

「君は知能が低いんだね」
「バカはすぐに怒る」
「導火線の短い人間は野蛮人だぞ」

と決めつけられたみたいに感じる。

そんなわけで、怒っている人をさらに怒らせる言葉は、つまるところ

「落ち着いてください」

だったりする。

自分の怒りを制御するのは大変に難しいことだが、他人の怒りに対処するのも簡単なことではない。いずれにせよ、怒りは、処理しやすい感情でもなければ、簡単に消せる感情でもない。それどころか、怒りに身を任せることは、気分をすっきりさせる経験だったりする。
だから、あるタイプの人々は、怒りに嗜癖する。

ここのところがまた、やっかいなところで、結局のところ、北朝鮮による不愉快な挑発がもたらす、最も対処しにくい副作用(むしろ、こっちの方が主作用なのかもしれないが)は、我々の中に滾る怒りの感情だということになる。

怒りにとらわれた人間は、正しい判断ができなくなる。
というよりも、彼らは、正しい判断を拒否する。
自分の怒りをより純粋に燃え上がらせる方向でしか、ものを考えなくなるのだ。

特に集団的な怒りに同調した人々は、明らかに非合理な行動を選択する。
というのも、怒りに嗜癖した人々は、自分の怒りを否定されることを何よりも憎むからだ。

と、怒りそのものが、彼らの行動原理になる。となると、その怒りには、誰も対応できなくなってしまう。

対北朝鮮の話で、手ぬるい話やお花畑なご意見を披露すると、

「譲歩すればつけこまれるだけだ」
「ガツンと言ってやらないといけない」
「思い知らせてやるしかない」
「ビビったら負けだ」

式の声が殺到するのも、腐れマッチョの作用だ。
誰であれ、文字の世界では無敵のマッチョになれる。その文字でできた筋肉が、ネット言論の一部を形成している。

北朝鮮関連について話していると、少なからぬ割合の男たちが、いじめられて泣いて帰って来た小学二年生に「やられたらやり返せ。ここでナメられたら一生いじめられっ子やでぇ」みたいなアドバイスをするスパルタンなオヤジじみた人間に変貌する。

まあ、話が子供のケンカなら、あるいはその場できっちりと報復しておくことが、色々な方面への目配りとして、また、本人の自尊心を防衛する意味で、適切な態度でありうるのかもしれない。私自身は、その方法は勧めないが、そういう考え方をする人たちがいることは理解する。

でも、隣国が繰り出してくる核実験に対して、マッチョな言葉を振り回すのは意味が違う。
マッチョな態度で応じるということになると、さらに別次元の話になる。

相手と同じ狂犬として同じステージに立って牙をむき出してみせることが、仮に男らしい態度であるのだとしても、それは必ずしも賢明な振る舞い方ではない。

安倍晋三首相ならびに菅官房長官は、この一週間ほど、北朝鮮に対して「圧力」という言葉を強い口調で繰り返すことで、国民の怒りに対応しつつ、マッチョなリーダー像をアピールしているように見える。

とはいえ、現状のわが国が、北朝鮮のミサイルや核兵器に対して、有効な「圧力」を行使するだけの「実力」を持っているわけではない。

(続く)
0003ねこ名無し ★@無断転載は禁止
垢版 |
2017/09/11(月) 00:27:19.49ID:CAP_USER
(続き)

原油の禁輸措置をちらつかせたところで、わが国が北朝鮮に原油を輸出しているわけでもない以上、その台詞はどうしても空虚さを帯びる。

経済制裁も、もはやほとんどやれることはやり尽くしている。軍事的な圧力は、そもそも憲法上不可能だ。

ということはつまり、総理や官房長官が言っている「圧力」は、エンジンの空吹かしとそんなに遠い動作ではないわけだ。

アタマに血がのぼるのはわかる。
唯一の被爆国である日本のアタマを飛び越えるカタチでミサイルを発射した数日後に、核実験をやらかしてみせた彼の国の無礼さと無神経さは、とてもではないが近代国家のマナーではない。

ただ、アタマに来ることと、その感情を口に出すことは別の話だし、その「アタマに来た」という感情にまかせて行動することは、さらにまったく別次元の話になる。

とすれば、われわれは、このどうしようもなくムカつく国に対して、どんなふうに報いるべきなのかを、とりあえず、勇ましいことを言っていい気持ちになることとは別の部分の脳みそを使って、真剣に思案しなければならない。

こんな話をしていると必ず出てくるであろう
「きちんとした軍備がないからこんなナメた真似をされるのだ」
という指摘は、半分以上本当だと思う。

ただ、だからといって、周辺国にナメられないだけの軍備を持つことが国家としての正しい選択であるのかどうかは、また別の問題だ。

核兵器を持つという選択肢となると、さらにさらにもう二段階ぐらい別の次元の話になる。
なにより、周辺国にナメられないだけの軍備をきっちりと揃えて、周囲を恫喝するためには、とてつもないコストと、別次元のリスクを引き受けなければならない。

この原稿では、そのコストおよびリスクとベネフィットを引き受ける道を選ぶべきなのかどうかについての議論には踏み込まない。
というよりも、その議論は、そもそも、憲法を改正してからでないとはじめることさえできない。

「その議論をはじめるためにも、まず憲法改正が必要なのではないか」

と、そう言いたい人がたくさんいることはわかっている。
うがった見方をすれば、首相や官房長官が、「圧力」という言葉を繰り返していたり、「これまでにない重大で深刻な脅威」であると断じているのも、そのあたりの議論を活性化させるための下地づくりであるのかもしれない。

政府が12道県でJアラートの警告音を発信する決断をしたのも、石破茂氏が、非核三原則の見直しを示唆する発言をしたのも、同じ流れの中でのことなのだろう。
9月2日、すなわち北朝鮮が核実験を実施する前日に、私は、以下のような一連のツイートを書き込んだ。

《北朝鮮のミサイル発射は誰が言うまでもなく言語道断の非道であり、いくら非難しても足りない。しかし、北朝鮮が非道だからという理由で日本政府の対応がすべて「正しいこと」になるわけではない。相手が非道だからこそ、対応には細心さと思慮深さが求められる。あたりまえじゃないか。》(こちら)

おそらく、私のこの原稿を、北朝鮮を擁護する主張として読み取る人たちがたくさん現れると思う。
それほど、一部の人々は、北朝鮮に腹を立てている。

もちろん、彼らが腹を立てているのは全面的に北朝鮮のせいだ。
でも、だとすると、北朝鮮は、隣国の人間の知能の働きを低下させるのに成功してしまったことになる。これは大変にまずい。

できれば、バカなジョークで笑うかなにかして、知能を取り戻すことができれば良いのだが、どういうものなのか、いくら考えても、うまい洒落ひとつ思いつくことができない。
ああ、そうか。私もアタマに来ているのだろうな。

小田嶋隆
コラムニスト
1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。


日経ビジネスオンライン関連記事
北朝鮮制裁、最後の手段「石油禁輸」が持つ意味 経済制裁・輸出管理に携わった筆者が解説
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/090700732/

(おわり)
0004<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止
垢版 |
2017/09/11(月) 00:28:13.16ID:P8p8mSLh
?
0005<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止
垢版 |
2017/09/11(月) 00:29:04.87ID:k+4PhkO9
全文引用は止めようぜ
0007<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止
垢版 |
2017/09/11(月) 00:29:40.71ID:ZwUE6M5U
朝鮮人が消滅するならなんでもいいよ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況