(続き)

原油の禁輸措置をちらつかせたところで、わが国が北朝鮮に原油を輸出しているわけでもない以上、その台詞はどうしても空虚さを帯びる。

経済制裁も、もはやほとんどやれることはやり尽くしている。軍事的な圧力は、そもそも憲法上不可能だ。

ということはつまり、総理や官房長官が言っている「圧力」は、エンジンの空吹かしとそんなに遠い動作ではないわけだ。

アタマに血がのぼるのはわかる。
唯一の被爆国である日本のアタマを飛び越えるカタチでミサイルを発射した数日後に、核実験をやらかしてみせた彼の国の無礼さと無神経さは、とてもではないが近代国家のマナーではない。

ただ、アタマに来ることと、その感情を口に出すことは別の話だし、その「アタマに来た」という感情にまかせて行動することは、さらにまったく別次元の話になる。

とすれば、われわれは、このどうしようもなくムカつく国に対して、どんなふうに報いるべきなのかを、とりあえず、勇ましいことを言っていい気持ちになることとは別の部分の脳みそを使って、真剣に思案しなければならない。

こんな話をしていると必ず出てくるであろう
「きちんとした軍備がないからこんなナメた真似をされるのだ」
という指摘は、半分以上本当だと思う。

ただ、だからといって、周辺国にナメられないだけの軍備を持つことが国家としての正しい選択であるのかどうかは、また別の問題だ。

核兵器を持つという選択肢となると、さらにさらにもう二段階ぐらい別の次元の話になる。
なにより、周辺国にナメられないだけの軍備をきっちりと揃えて、周囲を恫喝するためには、とてつもないコストと、別次元のリスクを引き受けなければならない。

この原稿では、そのコストおよびリスクとベネフィットを引き受ける道を選ぶべきなのかどうかについての議論には踏み込まない。
というよりも、その議論は、そもそも、憲法を改正してからでないとはじめることさえできない。

「その議論をはじめるためにも、まず憲法改正が必要なのではないか」

と、そう言いたい人がたくさんいることはわかっている。
うがった見方をすれば、首相や官房長官が、「圧力」という言葉を繰り返していたり、「これまでにない重大で深刻な脅威」であると断じているのも、そのあたりの議論を活性化させるための下地づくりであるのかもしれない。

政府が12道県でJアラートの警告音を発信する決断をしたのも、石破茂氏が、非核三原則の見直しを示唆する発言をしたのも、同じ流れの中でのことなのだろう。
9月2日、すなわち北朝鮮が核実験を実施する前日に、私は、以下のような一連のツイートを書き込んだ。

《北朝鮮のミサイル発射は誰が言うまでもなく言語道断の非道であり、いくら非難しても足りない。しかし、北朝鮮が非道だからという理由で日本政府の対応がすべて「正しいこと」になるわけではない。相手が非道だからこそ、対応には細心さと思慮深さが求められる。あたりまえじゃないか。》(こちら)

おそらく、私のこの原稿を、北朝鮮を擁護する主張として読み取る人たちがたくさん現れると思う。
それほど、一部の人々は、北朝鮮に腹を立てている。

もちろん、彼らが腹を立てているのは全面的に北朝鮮のせいだ。
でも、だとすると、北朝鮮は、隣国の人間の知能の働きを低下させるのに成功してしまったことになる。これは大変にまずい。

できれば、バカなジョークで笑うかなにかして、知能を取り戻すことができれば良いのだが、どういうものなのか、いくら考えても、うまい洒落ひとつ思いつくことができない。
ああ、そうか。私もアタマに来ているのだろうな。

小田嶋隆
コラムニスト
1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。


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(おわり)