待ってた人居たらスマン、遅くなった。
予告より早いが、一発目だけ投下する。
ただ、二発目が難儀してるので、結構間が開くかと。

さて、今回のお題は『多数決の正しさと、民主主義の限界』。
因みに、数学バリバリ使う予定だったが、それだとマジで誰も読まない可能性があることを懸念し、かなーり厳密でない緩い話にはなるが、大幅に数式は削除、またはたとえ話とかに言い換えた。
それでも少しは使うが。

まずは、一番単純な多数決の正しさについて。
賛成か反対か、どちらかに挙手なりして数える方式。
その方式はどの程度正しさを持っているのか?
条件をつけよう。

・議題は『良い』『悪い』とかはっきりとした1/0ロジックの結論で述べる質の問題である(例えば裁判の有罪/無罪とか)
・決断は、個々人の理屈、信念や倫理、価値観に基づくもので、多数派工作などは一切起こらないものとする
・人の判断は、それなりに合理的である。当然判断に間違いも混ざるが、正しい判断の方が多いものとする。

最後の条件が若干分かりづらいかも知れない。
例えば、『100個の問題に対して少なくとも半数以上は正しい判断を下す』と、そういうことにしておく。
仮にその正答率を6割としておこうか。
その前提だと、議決の『正しさ』はどれくらいか?
結論を先に言ってしまおう。
人数による。十分人数が多ければ、かなり議決内容は『正しく』なる。
計算してみたい人は、二項分布で考えて場合の数を調べれば分かるはず。
ここでは割愛するが。
少しだけ具体例を書こうか。
仮に三人(A,B,Cとする)で多数決を取ったとする。
その場合の正否パターン(A,B,C)の場合分けを考える。
正しい場合は1、間違ってる場合は0として以下に列挙してみると
(A,B,C):
(1,1,1)(1,1,0)
(1,0,1)(1,0,0)
(0,1,1)(0,1,0)
(0,0,1)(0,0,0)
の8パターン。
そのうち、正しい結論が多数決で議決されるのは、1が0より多いパターン。それぞれの確率は
(1,1,1)=(0.6)^3
(1,1,0),(1,0,1),(0,1,1)=(0.6)x(0.4)^2
これら4パターンの和が正しくなる確率だから
(0.6)^3+3x(0.6)x(0.4)^2=0.648
一人で判断した場合の0.6より少し上がった。
この調子で、人数を増やしていくと、101人までいくと0.97まで上がる。
因みに、101人の場合に必要な『正しい判断した人』の最低人数が51人。即ち、この規模の多数決なら、『過半数』という概念も正当化される。
つまり、単純な多数決では、人数が十分多いなら結構な精度だと見なせる・・・ように思えるんだが。
ただ、俺らの直面してる問題って、そもそもそんな明確に『良い』『悪い』が判別出来るとは限らない。イデオロギーとかw
そもそも、人が常に合理的な判断をしているという訳でもないし、(因みに逆転させて、間違った判断が6割の偏差値28が101人居たとしたら、正しい議決の確率は100-97で3%w)、現実の選挙システムはもっと複雑だ。
そういう場合において、俺ら有権者の『正しさ』はどう判断すれば良いのか?
それが今回考えていく問題だ。