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▲ソウル駐韓日本大使館前で開かれた1300次水曜デモで車椅子に乗ったキム・ボクトン(左側・91)ハルモニとキル・ウォンオク(89)ハルモニが日本軍性奴隷制問題解決を促す内容の「世界1億人署名運動」第二次分155カ国206万9760人の署名を日本大使館に渡している。

「岩のように生きていこう。あくどい風雨が吹きつけるとも。どんな誘惑の手にも動揺しない岩のように生きようよ。」

13日12時、ソウル鍾路区(チョンノグ)寿松洞(スソンドン)平和の少女像前で民衆歌謡「岩のように」の一節が鳴り響いた。今年の8・14世界慰安婦記念日に遅まきの歌手としてデビューしたキル・ウォンオク(89)ハルモニの声だった。歌声は低くゆっくりだったが、小節一つ一つに気丈な気勢が含まれていた。

引き続き原曲が流れ、京畿(キョンギ)南陽州(ナミャンジュ)スドン小学校6年生20人余りが出てきて歌に合わせて楽しく律動した。キルハルモニやキム・ボクトン(91)ハルモニをはじめとして1300次「日本軍性奴隷被害者問題解決のための定期水曜デモ」現場に集まった300人余りは歌に合わせて手をたたいた。

1992年1月8日から駐韓日本大使館前で毎週水曜日ごとに開かれた水曜デモがこの日で1300回をむかえた。日本軍慰安婦被害ハルモニらは26年目の「日本政府の公式謝罪」と「法的賠償」を要求しているが、現在、変わったことは何もない。

韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)と参加者らは「1300回の響きがあるまで被害者らは自ら人権運動家になった」とし、「日本政府の反省と法的賠償を私たちの手で成し遂げる時まで来週1301次からまた蝶々の羽ばたきを始めるだろう」と強調した。

ユン・ミヒャン、チョン・テヒョプ共同代表は経過報告で「1992年当時、韓国社会はハルモニらを恥かしい人々と眺めていたが、ハルモニらは声をあげることに躊躇しなかった」として「もはやハルモニらはあきらめない存在として一つの象徴になった」と話した。特にデモ参加者らは現在生存するハルモニが35人だけという点に言及して問題解決の緊急性を繰り返し強調した。

パク・クネ政府の時になされた2015年12・28韓日慰安婦合意に対する非難も沸き立った。ヤン・ジンジャ「日本軍慰安婦問題解決のための全国行動」共同代表は「当時、合意をめぐってハルモニらは「歴史を売った」と表現した」とし、「日本は歴史を認めずにお金で問題を解決しようとした」と指摘した。

参加者らはデモを終えた後、大統領府の前まで行進した。ハルモニのお二人様も車椅子に乗って行進に参加した。挺隊協側は2015年韓日合意廃棄と和解治癒財団解散などの内容を入れた公開要求書を大統領府に伝達した。デモに先立ち慰安婦問題解決のため「世界1億人署名運動」を推進中の挺対協は155カ国206万9760人の署名を日本大使館側に伝達した。

ムン・ギョングン記者
ミン・ナリ記者

ソース:ソウル新聞(韓国語) 1300度の響きにも…26年目反省ない日本
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20170914010003