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 今年のノーベル文学賞に、日系イギリス人作家のカズオ・イシグロさん(62)が選ばれた。

 記憶を残すか捨てるかの葛藤を通し、価値が激しく変化する時代の人間の弱さを描いてきた。平易な文章で、世界に多くの読者を持つ作家だ。

 2015年6月、10年ぶりの長編小説として発表した「忘れられた巨人」(土屋政雄訳)の宣伝のため来日した際にインタビューした。「ほお……。初めて聞きました。本当ですか、なぜですか」。イシグロさんがソファから身を乗り出したのは、私が「日本では東日本大震災後、負の歴史をなかったことにし、例えばヘイトスピーチを容認するかのような排外的空気が強まっている。どう思うか」と問うた時だ。日本語は話せないが、かなり聞き取れるのだという。

 「忘れられた巨人」は、老夫婦が息子捜しの旅をするラブストーリー。6世紀ごろのグレートブリテン島を舞台にしたファンタジーだが、人々の記憶を奪っている存在が浮かび上がってくる。イシグロさんは「1990年代のユーゴやルワンダでの内戦と大虐殺のショックが執筆のきっかけ」と説明した。過ちを繰り返さないために、記憶をどう扱えばいいのか。記憶は、この作家のデビュー以来の一貫したテーマだ。初期の「遠い山なみの光」と「浮世の画家」は幼少期の日本でのわずかな記憶をたどり、代表作「日の名残り」は英国の執事が古き良き時代を思う。

 日本では近年、第二次世界大戦で犯した加害の歴史を封印したがる勢力が伸長し、内心の自由を抑圧したり集団的自衛権を一部容認したりする動きが続いている。「確かに大津波と原発事故の後の日本には、強いリーダーシップは必要でしょうね。ただ、その成否は運に左右されます。南アフリカのマンデラ氏は成功しましたが、9・11後の米国は憎悪を多く生む結果になりました。日本の現状については知識がないからコメントできません」と残念そうだった。

 「でも、英国でも米国でも、この小説を自分たちに今起こっていることとして読んでくれる人は多いですよ」と語った。その語り口からは日本でも記憶を奪おうとする動きがあるのでは、という懸念がうかがえた。だからこそ、その作品群は、世界はもとより現代の日本人の胸に深く響く。最後に「私の底に子ども時代の日本がある。もう一つの古里です」とほほ笑んだ。【鶴谷真】