保守思想においては、伝統というものをどのように捉えるかが非常に
重要なわけであるわけで、たとえば今の憲法には伝統って言葉はどこにも
書かれてないが、自民党の新憲法案みると、前文に伝統という言葉が
使われていて、それはやはり保守的な憲法案の特徴と言えようw

三島由紀夫の市ヶ谷での蹶起要請に対して、自衛隊員が呼応しなかった
時点で、日本の伝統を擁護する保守思想は絶滅したと、ロールが書いていたが
七生報国の鉢巻きをしめて、三島の腹切りを真似ようなんてのはいなかったし
三島は日本の伝統精神の回復を訴えたが、それはあくまで孤独なパフォーマンスで
あって、それは伝統の消滅を宣言するパフォーマンスであったというのは、普通の
一般的に正しい解釈といえようw そのような日本の特殊な伝統は、三島の死に
より消滅したわけだが、三島の切腹によって、日本の特殊な武士道的伝統と
いうのが、日本によってアジアが解放されたという普遍的真理の転換を成し遂げる
ことができたわけで、三島の切腹には、単なる特殊なローカルな伝統の消滅という
消極的かつ反動的な意味しかないわけではなく、特殊の不変への転換の契機が
あるといえようw