>>307
英雄色を好むってやつですかね。
つか当時の中国の有力者だと正妻他側室多数てのは
普通だったのかも。

妹が愛人云々については下記
黄文雄氏なんで、内容については精査つか検証が必要かもしれないけど。

黄文雄著『悲韓論』
http://dwellerinkashiwa.net/?p=626

たとえば日C戦争前、朝鮮政治を指導していた朝鮮駐劄司令官、袁世凱は、官妓を設け、
推別都監から13〜16歳までの処女を選んで官妓や軍妓にしていた。
そして、最高実力者となる王妃閔妃の妹を妾にした。 また、朝鮮政府の不正を防ぐために、
明の永楽帝は勅使として内使の黄儼を朝鮮に送り、直接貢女を選んでいる。

あわておののいた朝鮮朝廷は、全国に婚嫁を禁止し、各道から13〜25歳の処女200〜300人を集め、
数回にわたって景福宮で選んでいる。このとき、 政府高官の娘が選ばれたのは5名だけだった。