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▲カンソク村から眺めたキロク峠。軍人たちは村の後方の山のキロク峠を越えてやってきて住民たちを虐殺し始めた。

韓国戦争(朝鮮戦争)前後の民間人虐殺に関する企画連載を再び進めます。チョン・チャンデ記者が足で取材した内容です。終戦後60年以上過ぎましたが、つらい記憶は消えません。筆者は左右理念対立の中で行われた多くの虐殺、その惨禍の中で無念の犠牲になった数多くの怨みの霊の魂が文だけででも慰められるよう願います。

糞尿食べて私は生きた

斬首を終えた軍人たちは首が切られた死骸に塩を振りかけた。血の色に満ちた現場にも自分の軍服にも白い塩をかけた。誰かは生臭いにおいがしない様にと言い、また他の誰かは霊がひっつかない様にと言った。

19人を斬首した軍人たちは人々が集められた場所に戻った。引き続き18才から40才まで男女の区別なく住民50人余りを捕縛してクロク峠(訳注:同じ記事の中でキロク峠とも表記されている)方向に引っ張っていった。普通の村と似た風景、カンソク村ももう女子供と老人だけ残った。山を越える前、軍人たちはその前の畑に住民たちを一度に押し込んだ。そして集中射撃を加えた。キロク峠の銃声はカンソク村に届いた。わずか数時間で100人余りの人々がこうして命を失った。

軍人たちはクロク峠を越えて南原(ナムォン)市内にゆうゆうと抜け、この日の住民の被害はそっくり戦果として残った。軍人たちがクロク峠を超えた頃、キム・ジョムドン氏は奇蹟のように気がついた。彼は周囲が静かになると血まみれになった地面をずるずる這って家に戻った。引き続き、低い垣根を越えてトイレに身を隠した。肥壺に隠れながら自分が生きているのか死んだのかわからなかった。それほど何を考える余裕もなかった。

キム氏は糞尿を食べた。なぜそうしたのかは分からない。ただし、つぶれそうに柔らかい糞尿がのどを通る瞬間、生きていることを実感した。

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▲カンソク村に住むキム・スヨン氏。彼のお父さんキム・ジョムドン氏は軍人が打ち下ろした日本刀を受けて倒れた。キム・ジョムドン氏はトイレに這って行った後、糞尿を食べて生き残った。

姉と一緒に父親を探しに行ったキム・スヨン氏は村会館の前でぞっとする現場を目撃してしまう。「庭にも溝にも血がちょろちょろ流れるほど血だらけで、ああ、斬首された人たちは首が完全に真っ二つにならず、首筋がほとんど切られたまま前に家族だけいたよ。後から首を打ったのが根拠になって、それで誰の死体なのかは確認が可能だった。」

キム氏は「(父は)精神力で持ちこたえた」と言う。彼は「肩はえぐられて白い骨が見えた。肉もえぐられていた」と父の状態にも言及した。それと共に「斬首された人の中で父一人だけ生き残った。本当に運が良かった」とその日を述懐した。

キム・ジョムドン氏はすでに20年余り前、恨多き世を去った。彼の息子は「後遺症で最後までかなり苦しんだ後亡くなった」と話した。
(後略)

ソース:プレシアン(韓国語) 糞尿を食べて私は生きた[韓国戦争、民間人虐殺の記録]全北、南原・任実A
http://www.pressian.com/news/article.html?no=176328