>>255
日本人は維新の真実を知る時だな。
明治の原動力になった長州や薩摩は日本の朝鮮化した地域だったんだよ。

実は、明治維新自体が、イギリスがロシアと対抗するために朝鮮人を操って
実行したクーデターだった。
まず、薩長がイギリスと戦争して負けて藩内クーデター起きてるだろ。

イギリス人を含め西洋人は陶器貿易で、朝鮮人が下級武士になっているのを知ってたんだよ。東郷重徳とかが良い例だ。
そいつらを利用した。

長州は、戦国時代まえから守護や戦国大名自体からして、百済王の子孫を称する大内氏や陶氏など帰化人だらけだった。

何しろ長州人は本人たちが朝鮮人の子孫と思っていたから、安土桃山時代に朝鮮出兵した際に降伏した朝鮮人捕虜を連れて帰ってきてどんどん仕官させている。
だから、江戸時代の長州藩士も帰化人がいる。

例えば、長州藩の御典医の「李家」は、李氏朝鮮の武臣李慶甫の子孫が御殿医として長州藩に仕えた。
子孫の李家 隆介(慶応2年8月(1866年) - 1933年7月23日)は、日本の内務官僚となり、県知事、錦鶏間祗候、下関市長となった。

下関にリトル釜山がありウォンが通用するのも当然だ。

薩摩の奴らは大久保やら鹿児島市高麗町出身がいる。
で、現在、西郷隆盛の子孫の西郷隆文は日置市で窯元を営み、鹿児島県陶業協同組合初代理事長なんだ。

信じがたいだろうけど、大久保利通や西郷隆盛の嫡男の西郷寅太郎も朝鮮出兵の時に連れてきた薩摩焼の陶工を集めた鹿児島市高麗町の出身。生家は百メートルも離れていない。

1600年代の半ばから後半には高麗町の陶工は郊外の日置市に集団移転した ことになっているが、その最後のタイミング(1680年代)で大久保の先祖も高麗町から郊外に移転している。しかし100年後後にまた高麗町に戻っている。

また、西郷も大久保も1600年代半ばに薩摩藩に先祖が仕官しているが、先祖は仕官前の数代は不明。
大久保利通の父の利世は、琉球貿易のための琉球館の通関職員だった。
薩摩は漂着を偽装した朝鮮との密貿易もしていたから朝鮮語か広東語を話せただろう。
天保13年(1842年)、この年までは高麗町に住んでいたことが、『鹿児島城下絵図散歩』で判る。後に琉球館付役に就任、琉球館内の屋敷に転居。

彼らの家系図は、適当に繋いだ偽物の可能性が高い。