>>905
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我々日本人が現代において、一般的な神道を神道として書いていただけだが。
わからない奴いるようだから今後は厳密に書いてやるよ。

我々日本人が現代において、一般的な神道と認識している神社本庁傘下のほとんど神社の神道は日本の神仏混淆の伝統宗教に朝鮮朱子学が背乗りして江戸時代半ばにできた新興宗教。

大義名分論を強調した李退渓の学説は、その系統を嗣ぐ姜?(カンハン)という学者が、16世紀末に日本の捕虜となって日本に連れて行かれ、後に京都に招かれて藤原惺窩と交流し、強い影響をあたえた。
藤原惺窩によって取り入れられた朱子学は林羅山らによって江戸時代の公認の学問とされることになった。

そして儒教側からも「儒家神道」と呼ばれる合体論が多く生まれたのである。江戸初期の朱子学者である藤原惺窩にはじまり、その門人の林羅山によって、
 神道と儒教の一致を説く思想が積極的に提唱された。羅山はその著『本朝神社考』の序文において、

従来の本地垂迹説や神仏混淆説を批判し、「日本が神国であり、神武天皇が天神(あまつかみ)のあとを継ぎ、その道を広めた。
これがすなわち神道であり、王道である」とし、この王道こそはシナの聖賢の道と同一のものであることを唱えた。

この「神道即王道」の観念によって神儒一致論を主張した羅山は、その考えを『神道伝授』において一歩進め、自らその神道説を「理当心地神道」と名づけたのである。
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