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【韓国】1980年代のナイトクラブを席捲した「キンギラギニ」と日本の歌の思い出[12/06]
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2017/12/07(木) 09:52:53.77ID:CAP_USER
■ 日本の国民歌手、桑田佳祐や近藤真彦に熱狂した青春たちに捧ぐ
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「キンギラギニ サリゲナク ソイチュガ オレノ ヤリカタ・・・。その後は何だっけ?」

「オェ Just a man in loveって繰り返す日本の歌があるじゃないか。そんなに楽しくはないけど、生テープを
渡すからちょっと録音してくれ」

1980年代に学生時代を過ごした者なら、経験した事があると思う会話だ。1980年代の初頭は「キンギラギニ」
だったとすれば、1980年代の後半は「Just a man in love」がその時代を過ごした若者を熱狂させた。

(写真)
http://www.bizhankook.com/upload/bk/article/201712/thumb/14490-27335-sampleM.jpg
▲ 近藤真彦が歌った「キンギラギニ」が入ったアルバムの表紙

日帝強占期の残酷な時期を過ごして解放されてから20年後の1965年、韓国と日本両国の国交が正常化
された後も政府は日本の大衆文化の国内進入に鍵をかけていた。

抑圧されるほどやりたくなるのが人間の本性である。1980年代に入って韓国も消費社会に突入して、この
時代の青春は主流だったアメリカやヨーロッパの文化から他の文化へ目を向け始めた。このような時代的
変化を追い風に、大学街で真っ先に流行った日本の大衆歌謡が1980年にイチュワ・マユミ(五輪真弓)が
歌った切ないバラード、「コイビトヨ(恋人よ)」だった。

当時、知り合いを通して日本の大衆歌謡を聞くにはいわゆる『ペクパン(白板?)』と呼ばれた海賊レコード
や、数回聞けば伸びたり切れるのが常識だった低質カセットテープに依存するしかなかった。ソウルの
清渓川(チョンゲチョン)やセウン商店街では、このような粗悪な消耗品でも日本の大衆歌謡を購入する事
が出来るメッカだった。 ??

何といっても若者たちに波及効果が大きかったのは、景気のいいダンス音楽だった。このようなニーズに
ピタリと一致した歌が1981年にコンド・マサヒコ(近藤真彦)が出した「キンギラギニ」だった。 この歌の元々
のタイトルは韓国語発音で、「キンギラギニ サリゲナク」である。

(動画=YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=oWvnv-AVKtg

日本の大衆文化は地理条件によって、釜山(プサン)で真っ先に流行する特性がある。「キンギラギニ」も
1983年頃に釜山に上陸して流行し、1984年に入ってソウル地域の若者にまで広がった。「キンギラギニ」は
メロディの合間に入るブラスバンドが動員された管楽部分は言うまでもなく、まるで馬に乗るようなトゥンドゥ
ドゥドゥンドゥン(?)というベースギターの音を聞いていると、肩と手を振るのに十分な楽しい曲である。

ソース:Biz韓国(韓国語)
http://www.bizhankook.com/bk/article/14490

>>2にチュジュク
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2017/12/07(木) 09:53:15.86ID:CAP_USER
>>1のチュジュキ

当時、海賊アルバムで先にこの曲を購入した若者が友だちにテープで録音したり、ダブルデッキカセット
レコーダーを通じてデタラメに広がって行った。歌詞さえ入手出来ないこの曲を歌うためにテープを何百回も
回して繰り返し、聞こえるままの歌詞を受け止めて歌詞を友だちと分け合った。

遠足やかくし芸で「日本の歌を歌える」という自慢から、この歌を誇らしく歌う学生が多かった。また「キンギラ
ギニ」は、ナイトクラブやローラースケート場で一日にも何回も繰り返し流た。

若者は当時、この曲を歌うコンド・マサヒコの本名を知らないケースが大多数だった。代わりに彼の日本の
愛称である『メッチ』、または『マッチ』で通用した。1964年生まれのコンド・マサヒコは歌手兼俳優で見ための
イケメンとは異なり、荒くて反抗的な魅力を出して日本の当代最高の男子アイドルスターだった。

コンド・マサヒコは1985〜1986年、日本の伝説的な女性アイドルのナカモリ・アキナワと香港スター梅艷芳
(アニタ・ムイ)との浮名を流し、いわゆる二股をかけたと非難を浴びた。梅艷芳はコンド・マサヒコの原曲を、
自身の母語である広東語に翻案して歌った。

代表的なのは彼女が主演を努めた『英雄本色3(1989)』の主題歌、『夕陽之歌』の原曲を歌ったのがコンド・
マサヒコだった。男でも真似できない魅力的な低音の梅艷芳が歌う『夕陽之歌』は、原曲を圧倒する。

(写真)
http://www.bizhankook.com/upload/bk/article/201712/14490-27334.jpg
▲ 2013年にサッポロビールのCMに登場した日本の国民歌手、桑田佳祐

1980年代後半、国内のナイトやロックカフェ、ローラ場では日本の国民歌手クワタ・ケイスケが1987年に
歌った『Just a man in love』大ヒットを飛ばした。この曲は、短い出会いだったが忘れられずに涙に濡れて
いるという非常に悲しい歌詞の内容とは逆に、メロディは明るくて軽快な曲である。

クワタ・ケイスケが『Just a man in love』を発表した頃の初期のパフォーマンスを見れば、悲しい歌詞を歌い
ながらも誇張した表情とジェスチャーで滑稽に歌うが、これも明るさを増幅させる要因として作用している。
『Just a man in love』は国内でカイなど、多くの歌手によってリメイクされて生き続けている。

クワタ・ケイスケは作詞、作曲、演奏、歌など、ポピュラー音楽全分野で多芸多才な万能エンターテイナーだ。聴衆を笑わせるか泣かせるか、クワタ・ケイスケがその日の彼の気分によって決める。 ?クワタ・ケイスケはソロ活動だけでなく、自身が率いるロックバンド『サジャン オル スタス(サザンオールスターズ)』を合わせれば、日本だけで6,000万枚以上のアルバムを販売した国民歌手だ。

在日郷胞説まで出るクワタ・ケイスケはクナサギ・チュヨシ(草g剛)と共に、代表的な親韓派の日本の歌手
として知られる。彼の曲の中には『Love Korea』という曲さえある程だ。?

(動画=kakaoTV)
https://tv.kakao.com/channel/2692467/cliplink/300761649

>>3に続く
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2017/12/07(木) 09:53:30.89ID:CAP_USER
>>2の続き

1962年生まれの同い年7人で構成されたト・チェコス(THE CHECKERS)が歌った1984年の曲、『チュリア
ニ ショウシン(ジュリアに傷心)』も『Just a man in love』と同時期に国内のナイトとロックカフェなどで大流行
した曲だった。この曲は、カンチュリ コッコ(Country Kko Kko)が、『オ マイ チュリア』という曲で翻案して
人気を呼んだ。

1985年のデビューした日本の4人組みロックバンド、『チュブ(TUBE)』も日本文化開放前に多くの曲が国内
で流行った。ケン(KAN)が翻案した『ネ センエ ポムナルウン(我が人生の春の日は)』の原曲は、チュブが
1992年に発表した『カラスノ メモリジュ(ガラスのメモリーズ)』である。チュブが1986年に発表した『Season-
in the sun』も、チョン・ジェウクが翻案するなど広く知られている。

話題を切り替えてみよう。金大中(キム・デジュン)大統領が就任した初年度の1998年から段階的に日本の
大衆文化を開放した後、廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が2003年に完全開放するまで、日本の大衆歌謡は
国内で制度圏外の文化の産物だった。

これまで日本の歌手が地上波放送などに登場しないのはもちろん、2003年の完全開放前までは国内放送
で日本語の原曲で歌を歌う事は出来ず、英語で歌わなければならなかった。代表的な事例として過去の
MBCとTBCで開催した国際歌謡祭が掲げられる。

MBCは1977年から1988年まで10回(1985年は未開催)にわたり、『MBCソウル国際歌謡祭』を開催した。
1978年のソウル国際歌謡祭には日本アニメーション主題歌の伝説、シモン・マサト(子門真人)が大会に
参加した。1986年には当代最高の日本の人気女性アイドルトリオ(3人組み)であるソネテ(ショジョタイ=
少女隊)が独特な衣装を着て『Starlight memory(ハレーロマンス)』を歌ったが、全て日本人特有の英語
発音で曲を歌った。

TBCは2年後の1979年に『第1回TBC世界歌謡祭』を開催したが、大会の大賞曲は『Beautiful me
(ビューティフル・ミー)』だった。小柄で華奢なスタイルでショートカットのヘアスタイルで大会に出場した
日本の女性歌手=オハシ・チュンコ(大橋純子)は、哀愁に満ちた歌声でユン・ボクフィやチェ・ジンヒを連想
させる爆発的な声量で曲を歌い、当代の日本の実力派女性歌手のレベルを国内に知らせた。オハシは
非常に洗練された発音の英語で曲を歌い、光を放った。

(動画=YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=PhdXswwK8u8

>>4に続く
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2017/12/07(木) 09:53:39.04ID:CAP_USER
>>3の続き

1979年の12・12クーデターで政権を取った全斗換(チョン・ドファン)の新軍部が、1980年にマスコミの統廃合
をしてTBCがKBSに統合、TBC世界歌謡祭はその年を限りに廃止された。 ? ?

当時の大会に招待歌手として招かれたのが、日本の女性デュオ=ピンク レイディ(ピンクレディー)だった。
招請ステージでピンクレディーは自身のヒット曲を歌う事が出来なかった。 代わりにハリウッド映画の
主題歌をメドレーにして、英語の歌詞で歌った。メドレーの合間に「ムビ ロボ(Movie Lover)」という、奇妙な
チュイムセ(合いの手)を繰り返した。 ???

今は地上波放送でも日本語歌詞の日本の大衆歌謡が電波に乗る時期を迎えている。完全開放初期の
憂慮とは異なり、日本のポピュラー音楽の放送頻度は極めて低い。もはや日本の大衆歌謡は不思議
でもなく、韓国のポピュラー音楽が飛躍的に発展したからではないかと思う。

おしまい☆
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