蔚山と熊本の悲しい歴史は、約400年前の丁酉再乱(慶長の役)で、日本軍を率いる加藤清正が
蔚山に駐屯したことから始まった。その後、敗退し追われる身となった加藤清正は、蔚山の陶工や
製紙・瓦・築城技術者ら1000人を自らの領地である熊本へ連れて行き、彼らに熊本城を築くよう命じた。
蔚山の築城技術により作られた熊本城は「難攻不落」と言われ、江戸城・大阪城とともに日本が誇る3大名城になった。
蔚山の技術者たちが強制的に住まわされた町は「蔚山町」と呼ばれ、今も「蔚山町停留場」「蔚山しょうゆ」を作る工場があるなど、
城下町には当時を物語るものが残っている。