散多菩薩とは、基督教における高名な大主教/大司教が、日本仏教において仏性を現した御姿。

主に十二月二十四日及び十二月二十五日に降臨すなり。
散多苦労大菩薩、散多九労大菩薩とも称すなり。
散多菩薩が衆生に示す真言、即ち是なり。

曩莫 三曼多 没駄喃 滅離苦離 蘇婆訶
(如来に帰依し奉る。諸々の苦から離れたまえ)

そも、西欧においてはSt.(せんと)の字を当て、聖人の送り名と成しけり。
そのうち最も高名な者たる“にこらうす”なる者、諸処の経典に曰く、
一切衆生の艱難を救い、また異法外法を断罪しけり。
その功徳高く、希代の聖人なれば、あえて聖の字を捨て“散多”を名乗りけり。

散とは何か。
一掌の水零れて慈雨の如く降り注ぐ様也。
多とは何か。
その数遍く物成る様を指す也。
是、転じて“散多”、即ち「数多の苦を散らし、数多の幸を降り注がせる者」の意となりけり。

菩提に至る釈尊の教え、亦散多の精神なり。
それ即ち“にこらうす”を導きし御神の御心、在我併(あがぺい)、「我と心を併せることで愛在り」と通ずる也。
ひいては、慈悲、慈愛、救済、堪忍、智慧、贈答、良縁、和合、繁盛、の九労を成す故、
“散多九労菩薩”の名を以って散多とし、今日の衆生の心中にて尚息づく者也。
衆生に塗れ、愛欲煩悩を識り現世利益を与え尚、滅離苦離(めりくり)を以って菩提への導きとしたり。

尚、散多笑うとや如何、
「法、法、法(HO-HO-HO)」とや。
是即ち三つの法(ダルマ)の意にして、古来よりの金言「笑う門には福来る」を表すものなり。
有り難き事限り無し。