では、1926年の京城日報を見てみよう

>生れ出た製茶業

>朝鮮人は古来茶を愛喫しない、たたわずかに上流社会に見らるるのみであったが
>それも大部分支那茶であって朝鮮内の生産にかかるものは少しもなかったのである
>然るに内地人移住が開始せられてより茶の需要が漸次増加するに至り
>内地茶の移入を仰ぐのみならずこれが栽培を試みたものであったけれども
>何ゆえかいずれも皆失敗に帰するのであったが明治四十二三年の
>交井深和一郎なる人全羅北道井邑郡山原面において静岡県産の種子を以て
>試培したところ美事に成功し爾来その地方一体の特産物と化するに至り
>一両年前よりは鮮人の栽培者も生ずるといった訳で漸次普及の大勢にある如く見える
>十三年中の同地方生産高および生産者を示せば左の通りである


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