有名な孫子の『兵法』に、「兵は詐道なり」(兵の道はいかに人をだますかにある)とあります。黄文雄氏はまた、
 「日本人は『誠』の民族であり、中国人は『詐』(だますこと)の民族である』
 と述べています。戦乱がたえず、虐殺が日常茶飯事だった中国では、生き残るために「詐」つまり騙(だま)すこと、人を陥れることが何より必要な術とされたのです。奸智(かんち)にたける者だけが勝ち残る。
袁世凱(えんせいがい)は、その奸智と裏切りの達人でした。毛沢東も奸智にたけ、日本軍を中国の内戦に引き込むことに成功しました。
 この奸智は、昔も今も中国人の気質として続いています。かつて新渡戸稲造は、中国人は「嘘をつくことを恥と思わぬ厚顔無恥な人々」だと嘆きました。ヨーロッパの大思想家カントやモンテスキューまでも、
哲学や法学の大著の中で、「中国人は嘘つき」と説いています。
 残念ながら、それは今も変わりません。中国共産党は現在も、たとえば「日本軍による南京大虐殺」という厚顔無恥な嘘を叫び続けています。また、かつて自分たちが中国民間人に対して行なった殺戮を、
すべて日本軍のしわざと叫び続けているのです。
 近代以降の中国では、むかし孔子や孟子が説いた道徳は力を失なっています。日本人がこれまで何となく抱き続けてきた「中国は道徳性の高い国」との観念は、幻想にすぎませんでした。
 もともと聖人の出る国というのは、乱れた国なのです。キリストがお生まれになったユダヤは、当時ローマ帝国の支配下にあって、圧制と暴虐が満ちていました。そこでキリストが敵への愛を説かれたのです。
 シャカが生まれたインドは、カースト制というひどい階級差別が存在し、そこでシャカは人間の平等を説きました。一方、中国は昔から騙し騙される社会であり、弱みをみればつけこむ社会であるので、孔子や孟子が現われて仁や義を説いたのです。
 乱れた国だからこそ、世界的な聖人が現われたのです。中国では、昔から家族倫理はあっても、公共倫理が希薄でした。今も、中国の指導者からして、国の内外に嘘をつくことを恥とも思っていません。中国では、
 「良心ある人は社会から疎外され孤立する」 という諺が生きているほどです。