>>618
日本語とインドネシア語とちょいハングルしか出来ないよ。

ジャカルタにいた時は隣家の隻腕ジジイ(元国軍の参謀将校)から耳にタコが出来るほど聞かされたよ。
ただ日英に対峙した蘭は装備開発では確かに大国だった。今でも保線重機や鉄道・建設重機は蘭が多い。結構、日本側は正確に読んでた。
しかし昭和のオランダ軍は一部装備だけ新式(書類上)、連合東インド会社は華僑がのさばって腐敗まみれ。日本が敗戦を受け入れた、いざ出陣!武器弾薬も燃料も横流しされて行方不明。圧政に馴れ切った指揮官から下士官まで右往左往。
島々は方言化でバラバラだったが、日帝が導入したインドネシア語が普及していて武装蜂起はたやすかった。

蛇足、うちの親父が重信総子と高校・大学で同輩。(もっとも重信と面識はないが)
S61年、親父の学友?の手下の城崎が放った迫撃砲でカーチャンと俺と弟は異国の地で死にかける。
(戒厳令下にプラザスナヤンで買い物して買えるとこだった…世の中狭すぎる)