1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断します。
例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。
その差額は日本が負担していました。
1908年にはより一層増加し、3100万円を支出しています。
統治後半でも当時年間予算5200万のうち日本からの補助金が1200万
日本の公債が100万投入されていました。25%は日本人の金でした、
敗戦したその時まで日本は台湾、半島の近代化を助けました。
戦後連合国の試算で今日の価値で言えば80兆円の資産を残しました。