金嬉老事件「過去じゃない」 立てこもりから50年 朝鮮ルーツの学生は

1968年、在日韓国人の金嬉老(キムヒロ)元受刑者が男性2人を射殺後、人質を取って寸又峡(すまたきょう)(静岡県川根本町)の温泉旅館に立てこもった事件から20日で50年。県内の在日コリアンの大学生らが14、15の両日、事件の現場を訪れ、当時を知る人たちから話を聞いた。在日コリアンへの差別が動機だったが、半世紀後を生きる学生たちは「過去の事件ではない」という思いをかみしめた。 (佐藤浩太郎)

学生ら九人は、差別やマイノリティーについて研究する静岡大の山本崇記(たかのり)准教授(38)がまとめる学生団体「日朝学生青年交流会」の活動で訪問した。

金元受刑者が立てこもったふじみや旅館(廃業)を見学した後、事件当時、警察や報道機関の宿舎になった翠紅苑(すいこうえん)で、経営者の望月孝之さん(72)と、孝之さんの父親で前経営者の恒一さん(百歳)に話を聞いた。

ふじみや旅館から百メートルほど坂を下った翠紅苑には防弾チョッキを着た警察官らが昼夜を問わず出入りし、従業員も何人が宿泊しているか分からないほどの混乱ぶりで、二人は対応に追われた。旅館のベランダからは立てこもる金元受刑者の話し声が聞こえたという。

金元受刑者は報道陣に「刑事から『朝鮮人じゃないか』とけなすようなことを言われ、心が煮えくり返った」などと事件の動機を語り、県警の刑事や本部長を指名し、テレビを通じて謝罪させた。学生の一人は、民族差別を訴えた元受刑者の姿が「当時の寸又峡の日本人にはどのように見えたか」と孝之さんに質問した。

孝之さんは、遅くとも昭和初期から寸又峡には、発電所の建設などに従事した多くの朝鮮出身者が住んでいた事情を説明。「彼に同情的な気持ちと、犯罪者として捉える気持ちが半分半分だった」と明かした。恒一さんは筆談を交えながら「(寸又峡が全国に宣伝されたという意味で)プラスになったことの方が多かった」と答えた。

朝鮮半島にルーツを持つ静岡県立大四年、米沢美侑(みゆう)さん(23)は「在日コリアンへの差別は今も続いている」と指摘。金元受刑者の訴えは「たとえ多くの人に響かなかったとしても、救われた人はいたと思う。今の自分も励まされる部分がある」と話した。

これに対し、同大四年の望月直人さん(22)は「差別に立ち向かったことより、人を殺したり、脅したりした事実の方が先にくる。必要な訴えだったと思うが、他のやり方もあったのでは」と語った。

在日コリアンの静岡文化芸術大一年許松大(ホソンデ)さん(23)は「在日にとって事件を過去の出来事として無視できる人はいない」と強調。ヘイトスピーチがはびこる現代は当時よりも排他的で「差別の強度がより高い」と感じている。「今、同じ事件が起きれば、もっと極端な意見が出て、溝がさらに深まる。半世紀たっても世の中は変わっていない部分があると思う」

<金嬉老事件> 1968年2月20日、在日韓国人の金嬉老元受刑者が静岡県清水市(現静岡市清水区)のキャバレーで暴力団員2人を射殺後、ライフルと約100本のダイナマイトで武装し、寸又峡温泉の旅館に13人の人質を取って約88時間立てこもった。75年11月に最高裁で、殺人罪などで無期懲役が確定。99年に仮釈放され、韓国に帰国した後に殺人未遂事件を起こし、有罪判決を受けた。2010年3月、前立腺がんで81歳で死去。

ソース:東京新聞 2018年2月20日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018022002000254.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/images/PK2018022002100164_size0.jpg
事件当時、警察や報道機関の宿舎になった翠紅苑の現経営者、望月孝之さん(右から3人目)に話を聞く学生たち=14日、静岡県川根本町で