ペタについて、これまたうぃきっぺより

ペタ設立の正式決定後、その編成の中心メンバーとなったのは、
ジャカルタ近郊のタンゲランにあった「青年道場」(インドネシア特殊要員養成隊、隊長:柳川宗成中尉)の
インドネシア人青年たちだった。この青年道場は
日本の中野学校出身の情報士官らによって設立された機関で、
インドネシア人青年にゲリラ戦や情報戦の技術を教育していた。
ペタ設立の決定後、この青年たちをボゴールに設立された
幹部養成学校(義勇軍錬成隊)に所属させて各種訓練を実施した。そして、この学校の卒業生が
中心となって、彼らのそれぞれの故郷で、約500名規模のペタの大団を結成させた。
この大団の下に、中団、小団、分団が組織された。

こんなペタがあるのに、1の記事のように日本軍が横暴したら大変なことになってたと思うんですが。