大東亜戦争
 1928年から45年までの18年間の日本の戦争は「侵略戦争」だったとして「東京裁判」を開廷し、日本を断罪した正に張本人であるマッカーサー元帥 が、その後、わずか2年後、
そして3年後、自身の考えを180度転換、日本の戦争は「護国戦争」だったと言っているのです。つまり、資源が無い日本では籠城したら、資源が無いから負け。勝つために、自衛護国のためには、東亜の宗主国を倒し、東亜を独立させ
、独立国東亜から資源を確保しながら戦う戦法しかない。侵略しなければ侵略される時代に、誰もが同じ戦法を取るだろうと、マッカーサー元帥 が聖書に誓い、発言したのだ。
 朝鮮戦争(東條英機宣誓供述書記載の、赤化防御を朝鮮戦争で痛切に体験)でマッカーサー元帥が、膠着状態打破のため「満州爆撃作戦」を立案することにより、島国日本にとって、朝鮮半島とその延長線上にある満州はまさに「国家の生命線」であり、
ここが日本と敵対する国家・勢力によって支配されると言う事は、島国日本への資源供給を絶たれ、取りも直さず国家存亡の危機に直面する緊急事態であるという事を、共産主義、ソ連の南下の防波堤として、
日本が満州を保持し続けなければならない事を、学んだのです。事実中国(元)はこのルートで二度日本を攻めてきた。「満州爆撃作戦」は「侵略戦争」と決め付けた日本軍の作戦と同一であることに気づき、
日本軍の護国のために誇りを持って玉砕する心根を、瞬時に理解出来たのです。「侵略戦争」だったらあのような壮絶な戦いは不可能だ。至誠一途な心根も、まさしく反共戦争であり「自衛護国戦争」だったからだと。
 東京裁判(1946.5〜1948.11.)は誤りだったと。勝者が正義の時代に、戦犯処刑わずか2〜3年後に前言を翻したことは非常に重要だ。マッカーサー元帥と米国は、世界征服をたくらむコミンテルンの悪の野望と、
コミンテルンに操られたルーズベルトの陰謀に、日米国民が乗せられたことに気付き、アメリカの歴史に汚点を残すのを避け、大東亜戦争 開戦の詔勅、を認め、東條英機の宣誓供述に呼応し、まさしく豹変し、これも認め、真実を貫いたのだ。