いろいろ、過激な部分も多いし、文明(科学技術)そのものも
多くの理不尽な犠牲の上で得られた部分も多い。

大まかに言って、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の後に、
「人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど
 ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、
 無学なる者は貧人となり下人となるのだ」が続く。
つまり、人の(差別/区別)の主な根拠は、学問をしたかどうか(知識)に拠る。
だから、学問(勉強)をする価値がある、といった一節が有名だ。

脱亜論は、中華思想への反発ではないか、といった風にも見える。
つまり、長らく、中国こそ最高の師であり、朝鮮は、その次、で、日本は末席といった位置付けだった。

しかしながら、学問のすすめに拠れば、よく学問をしたかによって、序列は決まるのであり、
例え、祖家である中国であっても、先学の朝鮮であっても、学びを怠れば追い越される、
逆に深く学べば、「青は藍より出でて、藍より青し」と、いつまでも末席を占めるものではない。

翻って、これは、現代に於ける、中国や朝鮮、日本の序列にも同じことは言えるだろう。

まあ、明治以降の日本が祖と崇める人々とはいえども、所詮は海外留学生(帰国子女)、
あまりに神のごとく崇めるのは、ねぇ・・・。

今現代に於いても、日本に来ているアジア系外国人留学生とかは
「神」に匹敵するほどの人物だと思うかなぁ?

名訳のほうが有名な言葉もある。
”Boys、 Be Ambitious.”:(みんな、がんばれよ。)→ 「青年よ、大志を抱け」。