「チョッチャルサ」とは、「チョッチマン チャルサウォッタ(負けたけれども、よく戦った)」の略語だ。

結果的には負けたが、強豪チームを相手に一方的にやられることなく善戦したり、成長した様子が見られたりした時に使われる。

1勝1敗1分と健闘しながらも残念なことにグループリーグを突破できなかった2006年のサッカー・ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で、ある地上波テレビ局の放送が初めて使ったというのが定説だ。

同様の表現には「スンノルモボ(勝負とは別に驚くべき姿を見せてくれた)」「負けたけれども希望が見えた」などがある。

誰もがうなずくほどよく戦ったからこそ、選手たちは負けても拍手を浴びられるのだ。

「2016年の話題の人」で、人工知能(AI)「アルファ碁」と対戦し1勝4敗した囲碁棋士・李世ドル(イ・セドル)九段や、今年2月の平昌冬季五輪で「スピードスケートの女帝」の座をめぐり日本の小平奈緒選手と名勝負を繰り広げた李相花(イ・サンファ)選手などが代表的な「チョッチャルサ」と言えるだろう。

しかし、国民の関心を引く試合が行われるたびに、その実力のほどとは関係なくこの言葉が乱用されているためだろうか。「チョッチャルサ」を一種の「精神の勝利」と見なす人々もいる。「プロの世界で『チョッチャルサ』は意味がない」「もう『チョッチャルサ』はいらない。とにかく勝ってくれ」などという人々だ。

どんなによく戦ったとしても、負けたという事実に変わりはないからだ。

18日、サッカー韓国代表チームはW杯初戦でスウェーデンと対戦、0−1で負けた。枠内シュート0本という拙攻に、ネット上では「チョッチャルサ」どころか、いら立ちの嘆きばかりが漏れた。

世の中のありとあらゆるののしり言葉を浴びている申台竜(シン・テヨン)監督は、世界ランキング1位のドイツを破ったメキシコとの試合を控えている。今夜こそ奇跡の勝利を、いや、そこまでいかなくても、誰もが拍手を送りたくなる「チョッチャルサ」を見せてくれると期待するのは、欲張りすぎだろうか。


2018/06/23 10:01
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