>>238
>今いるババアで日本の慰安婦だったのいるのか?

敗戦後、慰安婦を看護師として雇用/日本
共同通信が文書公開…軍務員にして隠ぺいした可能性
http://s.japanese.joins.com/article/567/101567.html

今回発見された文書によると慰安婦を看護婦に切り替える措置は東南アジア地域に派遣されていた第一南遣艦隊司令官が、
サイゴン第一一特別根拠地隊などにあてた1945年8月18日付通達文に記されていた。
この通達文は「シンガポール地域の日本海軍の慰安施設で働いた少女たちが海軍第一〇一病院で補助看護婦として雇用された」と指摘し
「サイゴンでも同じ措置をしろ」と指示した。
また第八通信隊から海軍民政部全責任者に送った同月20日付通達文には「全地域の日本女性を看護婦の資格で病院に割り当てよ」と指示した。
そして「通達文を完全に理解した後、焼却しろ」と付け加えていた。


1994年3月、女性の人権アジア法廷での元慰安婦金福童の証言より一部抜粋

「シンガポールには長くおりましたが、急に兵隊たちが来なくなりました。
どうしたのだろうと思っていると、戦争が中断したと言うのです。
中断したから、他のところへは行かないでここにじっとしていろ、じっとしていれば助けが来ると言うのです。
私たちはテントを張ってなかにいました。しばらくたって幌を張ったトラックが来て、乗れと言われました。
どこに行くのかもわからずついて行くと、第十六軍病院という、日本軍の大きな陸戦病院でした。
そこで訓練をすると言うのです。
患者の服や血のついた包帯を洗ったり、掃除をしたりするのですが、血液検査もされました。
手術のときに血液が足りなくなると、私たちのなかから血液型の合う者を招集するのです。
そして献血をさせられました。
あまりたくさん血を採られて気分が悪くなり、頭がくらくらすることもありました。
そうすると、ぶどう糖を一本打ってくれました。
このようにただ戦争が中断したとだけ聞いたものですから、日本軍が降伏したということも知らないままで、
国が解放されたのかどうかも秘密にされていたので、私たちにはわかりませんでした。」


金福童が陸戦病院に連れて行かれる前に居たのがシンガポールなので上記通達電文との整合性が見られます。
共同通信が慰安婦を看護婦にさせる通達電文の記事を発表したのが2008年6月19日なので、
それより14年も前に上記のような証言をしています。
これより、この通達電文の存在を知ってから証言したという事では決してありません。

http://livedoor.blogimg.jp/kanedashoji70/imgs/5/3/53c14449.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kanedashoji70/imgs/7/b/7bbc1aad.jpg

これ等の写真より金福童が南方軍第10陸軍病院に勤めていた事は間違いないです。

これ等より、金福童は元々慰安婦であり、
敗戦後、日本軍が慰安婦の存在を隠蔽する為に慰安婦を看護婦に偽装させる工作をした為、
病院勤務者として記録が残ったという事になります。