http://www.breaknews.com/imgdata/breaknews_com/201806/2018062924269358.png
▲日本キリスト教思想家、内村鑑三(1861-1930年)(c)日本資料

日本のキリスト教思想家に内村鑑三(1861-1930年)という人物がいる。彼には韓国人の弟子もおり、韓国でも広く知られた人物だ。
(中略:経緯)

宣教師ウィリアム・クラークから聖書を教わった内村はその後、東京第一高等学校の教師になった。彼は学生たちに日本の大東亜戦争参戦と天王崇拝を断る反戦運動を主導した。彼は目に見える建物としての教会ではなく聖書の内容の実践を追求する無教会主義者であり霊性生活に忠実だった。

彼は祈る中で受けた予言力で自国人日本に向かって警告した。彼が教師として在職する時、その頃の日本は朝鮮半島(韓半島)と中国などの地を侵略、帝国主義領土(植民地)を広げていた。この時、内村は世紀的予言をする。日本は朝鮮半島-中国を占領し多数の人の虐殺を継続した。日本国内のキリスト教は日帝の侵略行為を美化-正当化することに汲々とした。さらに「占領祝い礼拝」を献上した。

この場面を目撃した内村は「決して祝うことではない。日本帝国主義は悪い事をした。東洋の隣国に悪いことを行った。東洋の隣国を侵略すれば神様が天から火雷を下すだろう。天皇も人であるから私は天皇にお辞儀をしない」…このような種類の内容を発言して憚らなかった。その様な彼は不利益をこうむった。学校も解職された。しかし、その予言の成就は後日、広島、長崎原子爆弾投下で現実化した。

日本の戦闘機が米国を侵攻、米日戦争が勃発した。米国は1945年8月、日本との戦闘を行いながら被害を最小化するために原子爆弾を投下した。この時、日本は広島-長崎の原爆投下で一度に数十万人が死亡し白旗を揚げた。内村の大予言は彼が死亡した15年後に正確に火雷(原爆投下)で可視化された。

内村は1930年に死亡した。その当時は日帝が朝鮮半島を侵略、良民殺害と侵奪を加速化した時代だった。内村は朝鮮併合にも反対した人物だった。内村は自分を生んで育てた自国である日本の肩を持たず良心の声に従った。「朝鮮は政治的自由と独立を失った。しかし、今、朝鮮は心霊的自由と独立を得ようとしている。神様は朝鮮に肉の軍隊を派遣しなかった。しかし聖霊を送った。幸福なる朝鮮よ!これから日本を祝福する朝鮮よ!祝福の通路になる朝鮮よ!」と述べた。

彼はある文で「すべての祈祷は神様がお聞きになる、いや、お聞きになるほかはない」とし、「従ってキリスト教徒の祈祷は予言だ」と表明した。そうした点で、彼は祈る人生=予言の人生を生きた。

日本は島国だ。しかし、韓半島(朝鮮半島)は大陸(アジア-ヨーロッパ)と連結されている国家だ。韓国、北朝鮮の分断が解消され、続いて東北アジア地域の冷戦が解体されれば、これまで切れていた南北の汽車が連結されれば、朝鮮半島は日本を祝福したり「祝福の通路」の役割をしてくれることになるだろう。内村のもう一つの予言の成就を見る日が徐々に近づいている。

内村は1930年に死亡したので今年は彼が死亡して88年目になる年。予言の完成に非常に長い時間が流れた。内村は「幸福なる朝鮮」を予想した。幸福なる朝鮮とは「隆盛する韓半島」を意味するだろう。

*筆者/ムン・イルソク.

ソース:ブレークニュース(韓国語) 日本思想家内村の火雷予言とその後の予言
http://www.breaknews.com/586953