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▲高原孝生、明治学院大学国際平和研究所所長.<赤旗>提供

最近になってその絶対的地位が揺れている「核の傘」の概念が私たちの社会に登場したのは1978年7月27日第11次韓米例年安保協議会からだ。4月20日、パリを離れてアンカレジを経由し、金浦(キンポ)に到着する予定だった大韓航空902便が航法装備異常のため領空を侵したという理由でソ連の戦闘機に撃墜されたその年。「韓米同盟の最高価値であり象徴」と称賛する人もいる韓米聨合軍司令部創設と一緒に大韓民国は「核の恐怖でまた他の核の恐怖を覆う」核の傘という巨大な皮肉のまん中に歩み入った。

そして満40年たった今日まで私たちは安全だった。あるいは「わずかな疑いもなしに」そうだと信じてきた。筆者もやはりその様な「信念」から自由ではなかった。もしかしたら高原孝生、明治学院大学国際平和研究所(PRIME)所長の断固たる言明がとりわけ強烈に脳裏に打ち込まれたのもそのためだろう。

高原所長によれば核の傘という言葉は初めから「使ってはいけない言葉」だった。核武装の実態を隠すからだ。戦争は人が起こすもので、決して雨のような自然現象ではない。また「核の傘」を使うということは、常時的に核攻撃を準備するという意味で、結局、相手の首に「核の矛先」を突きつけて脅すことに他ならない。攻撃武器である核兵器の本質を看破した論理だ。

この時代を代表する平和研究者のひとり、高原所長は第二次世界大戦敗戦後、東西冷戦の隙間で「日本を反共の橋頭堡にすることに協力する」とし、侵略戦争の責任追及から抜けて再び権力をつかんだ「闇の勢力」にひとりの学者であり人間として良心をかけて生涯抵抗してきた。

Q.定年退任を前にして今まで平和研究に全てを捧げてこられた。韓国市民のために所長を引き受けておられた国際平和研究所の紹介をお願いする。
A.国際平和研究所は1986年明治学院大学国際学部スタートと一緒に「平和の諸般条件を探求する」研究・教育機関として設置された。ここで「平和」というのはひとりひとりの人間、特に今後の世代が、暴力に脅かされず自由に自分らしく生きることをいう。

Q.概括的な質問を一つ。今年初め、平昌(ピョンチャン)冬季五輪を契機に北朝鮮の肯定的な姿勢転換が始まり、南北首脳会談を経て北米首脳会談まで今まで私たちが経験したことのない一連の過程が続いている。平和研究者としての感想はどうか?
A.率直に申し上げれば、予想を越える展開だった。1989年ベルリンの壁崩壊に近い印象を受けた。政治的イニシアチブの有効性を見せたことを評価する。合わせてその過程でムン・ジェイン政府の役割が大きかったと見る。
(中略)

Q.今回の北米首脳会談で世界の人々は「韓半島非核化」というキーワードに相当な関心を見せた。しかし、安倍総理はこれより自身がトランプ大統領に拉致問題について提起して、それがキム・ジョンウン国防委員長に伝えられた点だけ強調した。最近、絶えないスキャンダルで窮地に追い込まれたあげく、再生の道を模索するようだが、事実、安倍総理は今までこの問題と関連してどんな努力もしなかったと見る。
A.同意する。狭い国内政治的脈絡で、日本人拉致問題は現政権に利用されてきたということができる。これまで対北朝鮮制裁と圧力に駆け上がったことが果たして北朝鮮に住む日本人妻や拉致被害者に望ましいことだったのか疑わしい。本来、日本は「共和国(彼はこの文脈で北朝鮮をこのように表現した)」と関連する人々がたくさん生きている国だ。様々な経路を活用して現地の情報を得て、社会的な影響を及ぼせる位置にあったのに、現政権はそのような資産を自ら崩してきた。彼の言うように「拉致問題解決を最優先課題に臨んできた」とはとうてい評価できない。
>>2-5あたりに続く

ホン・サンヒョン

ソース:ニュース・トゥルー・オア・フェイク(韓国語) 「北朝鮮・韓国・日本核兵器禁止協約同時加入必要」
http://www.newstof.com/news/articleView.html?idxno=812