日帝の民族精気蹂躪現場…王族の「胎室」も掘り出す
中央日報日本語版 8/15(水) 14:51配信

写真:日帝による民族精気蹂躪現場の高陽市西三陵(ソサムヌン)内の「胎室」。
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日帝による民族の精気蹂躪の現場である京畿道高陽市徳陽区元堂洞(ウォンダンドン)の西三陵(ソサムヌン、史跡第200号)内の胎室。王族の胎を壷に入れて保管するところだ。胎室には朝鮮時代王の胎室碑22基と王子・王女の胎室碑32基が両側に並んでいる。胎室碑には主人公と建立時期、本来の位置などが記録されている。

キム・ドゥクファン西三陵胎室研究所所長(60)は「全国各地の名山に造成された胎室は朝鮮王室が官吏を任命して厳格に保管してきたが、1928年に朝鮮総督府が民族精気の抹殺のためにここに集めて西洋式の共同墓地のようにして毀損した」と述べた。

当時、朝鮮総督府は「胎室が破壊される心配がある」という名分を前に出して各地に保管されていた王と王孫の胎室54位を掘り出してここに移し、西三陵胎室を造成したと、キム所長は説明した。日帝は当時、花崗岩材質の棺で胎壷を保管していた伝統方式の胎函を掘り出してセメントの棺に変え、胎室周辺に塀を築いて民族の精気を抹殺しようとした。

さらに1996年に文化財研究所が鉄製の塀をなくすなど倭色が濃厚な胎室を整備したが、まだ胎室の規模や内部施設などは正確に明らかになっていない。当時発掘された胎壷などは現在、国立博物館に保管されている。

キム所長は「朝鮮末期まで全国130カ所に胎室があったが、元の状態で保存されている胎室は現在全国10カ所ほど」とし「長期的には国家レベルで胎室に関する歴史的考証を経て、胎室を元の場所に復元しなければいけない」と述べた。


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