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▲日本の真珠湾空襲(1941年12月)

「小国日本への回帰」去る2日、毎日新聞に載った三谷太一郎東大名誉教授(82才)の苦言だ。

日本政治外交史を専攻した元老学者の三谷教授の言葉は近現代史を貫く日本の軌跡とその後の指向するところを語ってくれる。この短い言葉が持つ意味を調べてみよう。

□大国日本と小国日本

近代日本の成立過程で省けない人物が福沢諭吉だ。日本1万円札の主人公でもある彼は「脱亜入欧」を強調してアジアを越え列強と肩を並べる日本を主張した人物だ。明治維新後、清日戦争の勝利を起爆剤にしてアジア周辺国から中国を越えてアジアの盟主になる、という帝国主義的野心を表わしたいわゆる大日本の軌跡はここから始まる。アジアを越えるという意味から単に西洋を指向するだけでなく、アジア国家を「悪友」と称するなどの蔑視と否定的イメージが多く入っている。

その後の日本の歩みはみな知っているように誰はばかることなく侵奪した。露日戦争と朝鮮侵奪、満州事変そして太平洋戦争まで日本はいわゆる「大国」という自己催眠にかかって歴史的汚点を残す歩みを繰り返した。天皇を中心にした軍部の全面的扇動政治そして一部の小さい勝利に陶酔した日本の選択だった。そして太平洋戦争での敗北以後、急激に訪れたのが小国日本だった。

米軍政体制で作られた「平和憲法」を基盤に戦争することも、戦力を備えることもない国という骨格を作って事実上安保は米国に任せたまま経済だけに専念する日本の姿がそれだ。第二次世界大戦後、対外政策のほぼすべての面で米国の傘下にある事実上の属国同然の姿だったが日本の自尊心を助けたのは経済であった。1968年からGDP基準経済規模世界2位という名誉は日本人たちに現在の体制についてそれほど大きな不満を抱かせないようにする要因でもあった。

□中国の台頭...大国主義への回帰
(中略)

太平洋戦争前の日本が持っていた「明治憲法体制」が天皇中心の帝国主義的「大国日本」を規定したとすれば、その後作られた「平和憲法体制」とは「小国日本」を代弁しているといえる。そして安倍総理は憲法改正を持ち出して「大国主義」への復帰を試みている状況だ。7年連続防衛予算を拡大しながら53兆ウォン規模の史上最大防衛予算を確保している日本政府はすでに「大国主義」を標ぼうしていると見てもよい。

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□だからこそ重要な「小国主義」

今年は明治維新150周年になる年でもある。明治大山田教授(日本近現代史専攻)は9月1日、東京新聞とのインタビューで「安倍総理のように無批判に明治時代を賛美するのは相当な問題がある。明治時代、韓半島を植民地化して、多くの朝鮮人が関東大地震で虐殺された」と指摘した。彼の見解は明治時代の大国日本に対する漠然とした郷愁に批判的姿勢が必要と明確に言う。

また初めに戻って東大三谷教授の話を聞いてみよう。「中国などの地で現在『小国日本』というのは一種の蔑視で使われていますが、私は将来、人口減少や日本の資源規模などにふさわしいように植民地帝国時代以前の日本の立場に立って考えてみることが今後の日本に必要だと見ます。..それこそ日本が対外平和を構築していくという立場に必要なことではないかと思います。」

歴史は繰り返されるものだが、ある地域圏や文明圏の歴史を見る時100年という時間はそれほど長くない単位でもある。そして日本はこれまで自分たちのアイデンティティについて多くの変化を経ている国でもある。誰のための『大国日本』なのか、真の『小国日本』の意味は何か、日本人たちが真剣に考えてみなければならない時だ。

イ・スンチョル記者

ソース:KBSニュース(韓国語) [特派員リポート]「日本よ小国で回帰しなさい」
http://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=4033624

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