加藤千洋の「天安門クロニクル」(11)
指導部に亀裂走る(下)趙紫陽失脚

2018/10/27 11:45

さて趙紫陽がゴルバチョフに党の秘密決議「いまも最も重要な問題ではケ小平同志が舵を取る」を暴露した意味は、要は「いまのこの事態を収拾できないのはケ小平の同意がないためだ」ということになる。

学生と知識人グループ、彼らを支持する労働者や市民は、その「真意」を敏感にかぎ取った。運動にそれまでとは違う現象が2つ起きた。




不満に火をつけた趙紫陽の「機密暴露」

一つは、デモ参加者が一気に百万人規模に達し、中心部の幹線道路がほぼマヒ状態に。地方の主要都市でも数千人から数十万人の集会やデモが発生した。

首都の大規模デモには、所属を堂々と明示した旗を持つ政府・党機関(外交部、郵電部、党組織部、党統一戦線部、党中央学校など)の職員や軍の非制服組、武装警察部隊も含まれ、大学から小学校までの教育関係者、ジャーナリスト、国営基幹工場の労働者らと幅広い社会層に広がったことを示した。ある意味で「運動」の主体が学生の手を離れたようにも感じた。

またプラカードや横断幕に「声援」の文字が目立った。これは「絶食闘争」に踏み切った学生らを支援しようという動きが、これまた広汎な社会層にアピールしたことを物語っていた。

もう一つの変化は、運動支持者から「頑迷な保守派」と見なされたケ小平、それに李鵬に対する名指し批判が公然と出てきたことだ。

この写真のプラカードには「ケ小平」の文字はない。代わって描かれたのはぐらつく台にのった「小瓶」だ。中国語では「瓶」の発音が「平」と同音の「ピン」なので、「小瓶」は「小平」に通ずる訳だ。

以前から中国では人気スポーツの女子バレーボールが五輪や世界選手権で優勝すると、大学キャンパスでは学生たちが宿舎からサイダー瓶や牛乳瓶が投げて割り、憂さ晴らしの騒ぎを起こした。現在の中国では、毛沢東以来とされるほど権力を集中した習近平主席
(党総書記)に対する名指し批判ははばかれる状況にある。代わってネット上に登場したのが、なんとなく姿かたちが似ているディズニーの人気キャラクター「くまのプーさん」だ。それがためか、プーさんの実写版ディズニー映画は中国では上映が禁止されたとか。

それはそうと天安門事件当時、中国では「八老治国」という言い方がはやっていた。8人の老人がいまだに国家を統治しているという意味だ。代表格がケ小平で、他は陳雲(党中央顧問委主任)、李先念(政治協商会議主席)、彭真(前全人代常務委員長)、楊尚昆(国家主席)らいずれも80歳超の「革命の元老」だ。彼らが現役の指導部をしのぐ発言権を時に行使した。

こうした「老人支配」にうんざりしていた民衆の不満に趙紫陽の「機密暴露」は火をつけたといえる。北京大学の党員の教員や大学院生らの緊急アピールは
「ケ(小平)は党中央主席でないにもかかわらず、直接全党に命令を下すことができる。これは党内民主の蔑視であり、破壊である。家長制と独裁性の現れである」と指摘した(『中華人民共和国史十五講』319頁)

当時の党最高決定機関の政治局常務委員は5人。趙紫陽、胡啓立が改革派、李鵬、姚依林が保守派、喬石が中間派と見られていた。この中で李鵬が反趙紫陽の保守派グループの急先鋒というのが一般的な見方だった。

こうした政治的構図の中で、党トップの総書記の座にあった趙紫陽はゴルバチョフが北京を離れて上海へ向かった5月17日夜から18日にかけて、実質的に失脚に追い込まれた。党指導部に鋭い亀裂が走り、ケ小平ら「八老」をバックにつけた李鵬、姚依林らの力が圧倒的に優勢となった。

趙紫陽は18日早朝に入院学生を病院に見舞い、19日早朝も天安門広場に現れてハンスト学生を慰問。学生に手渡されたハンドマイクを握って、「皆さん、我々は来るのが遅すぎた」と時折、涙声で語りかけた。この時は、すでに自らの失権を認識していたのだろう。

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膨らんでいたケ小平と趙紫陽の矛盾
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