「訂正でんでんというご指摘は全く当たりません」


『自称』愛国者・保守云々(でんでん!)安倍晋三の華麗なる経歴

成蹊がFランだったから安倍ちゃんが残念だったのか?本当に成蹊大卒は『低学歴カス』なのか?

成蹊が悪いのか?安倍ちゃん本人の問題なのか?

キミら自身で検証してみよう。


1954年(昭和29年)9月21日、当時毎日新聞記者だった安倍晋太郎と、その妻・洋子の次男として東京都で生まれる。


学習環境は大変恵まれており
後にNHKの経営委員に就任、日本たばこ産業顧問を歴任した
俊英、本田勝彦氏(東京大学法学部卒)が小学2年から3年生にかけて家庭教師に
小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間は平沢勝栄(東京大学法学部卒)が家庭教師についていた。

その甲斐あってか
成蹊中学校、成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部政治学科をエスカレータ式で卒業。

成蹊大学卒業後、1977年春に渡米し、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが、馴染めず
その後、イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った。
秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され1978年に入学。
政治学を専攻し、春・夏・秋学期を履修した後、1979年に一年持たずに中退したとされる。
ただし南カリフォルニア大学の広報部によると、安倍が同大学で取得したコースの中に政治学は含まれていないという。
この点について、安倍事務所は「政治学は履修したが、途中でドロップアウトしたため、記録が残っていないだけ」とコメントしている。


1979年(昭和54年)4月に一年足らずで留学失敗。帰国し、親の伝で神戸製鋼に入社。
ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社と勤務先を転々とする。
加古川製鉄所での工場見学の経験は「私の社会人としての原点」、あるいは「私の原点」だったと回顧している。

1982年、3年足らずで退職。
安倍晋三、この時25歳。
以降、親元で家事手伝い(ニート)に従事。現在に至る