【大紀元】中国古代の軍隊は何を食べていたのか[12/1]
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秦の始皇帝陵の兵馬俑(イメージ / Pixabay CC0 1.0)
古来より、軍隊の食糧事情は前線で戦う兵士にとって一大事でした。食事の質と量は兵士の身体能力に直接的な影響を及ぼし、作戦の勝敗をも左右することがありました。では、古代中国の兵士は何を食べていたのでしょうか。
中国最古の軍隊糧食は狩りで捕った獲物でした。殷の時代には「田狩」と呼ばれる大規模な狩猟活動が行われ、千人以上の兵士を動員し数百頭の野生動物を捕まえることができました。甲骨文字で書かれた古文書によれば、殷の軍隊は一度の田狩で451頭の鹿を捕まえました。
周の時代になると田狩はさらに規模を増し、周の武王は一度に一万頭以上の動物を捕らえたと記録されています。軍隊の食糧をまかなう為にも、殷や周は絶えず領土を拡大する必要がありました。周の時代になると、その領土は現代の陝西省や山西省、山東省、安徽省まで拡大しました。
捕らえた獲物以外にも、主食として粟(アワ、黄色で小粒の穀物)が食されていました。とはいえ食べ方は蒸してご飯にするのではなく、濃い粥(かゆ)にして食べていました。夏王朝、殷王朝、周王朝は野菜入りの粟粥が糧食の中心であり、そこに豆類や肉類を入れました。食器は主に陶器(粘土を比較的低温で焼き上げたもの)が用いられていました。当時の粥は主食であったため非常に濃く作られ、「厚(濃いの意)」と呼ばれました。
粟は唐王朝期まで軍隊の主食であり続けました。中国の政治的・軍事的中心地が主に北方であったためです。さらに粟は米よりも長期保存に向いていることも理由の一つです。唐王朝期の文献によれば、粟は最大9年間保存できるのに対し、米は5年しか保存できませんでした。実際、粟の保存期間はさらに長く、長安城に蓄えられた粟は20年物でも食用ができたと言われています。
では兵士一人の食糧はどれくらいだったのでしょうか。秦王朝の規定によると、重労働に従事する兵士は朝に粟半斗(1リットル。秦代では1斗=2リットル)、夜に粟三分の一斗(0.67リットル)が支給されました。歩哨などの比較的軽い任務は朝と夜にそれぞれ粟三分の一斗(0.67リットル)が支給されました。漢王朝期には、重労働に従事する兵士は一か月に2斛9斗3升(約58.6リットル。漢代では1斛=10斗、1斗=10升、1升は約200ミリリットル)の粟と、食塩3升(約600ミリリットル)が支給されました。唐代になると、兵士一人につき一日2升(約1.2リットル。唐代では1升=600ミリリットル)の穀物が支給されました。
宋王朝期には、中央軍に相当する禁軍の兵士は月に2.5石(約168リットル。1石=67リットル)の穀物が支給され、地方軍の廂軍の兵士には2石(約134リットル)の穀物が支給されました。
明代でも主食となる穀物は依然として支給されていましたが、小麦粉が普及したことにより、餅(ビン。小麦粉を使って作られた生地を伸ばして焼き上げた中国風のパン。)が軍隊の携帯食として人気を博しました。餅は丸く作られ、真ん中にはひもを通して持ち運べるように穴が開いていました。食糧の進歩により明軍は敵を長距離に渡って追撃することが可能となり、中国華北の寒冷地や森林地帯での作戦遂行能力を大幅に向上させました。
(翻訳・黎宜明)※看中国より転載
https://www.epochtimes.jp/2018/12/38357.html
大紀元 2018年12月01日 12時44分 >>2
で終わってた。(・ω・)
ちなみに韓国の場合は人糞だよ。(*´・ω・)(・ω・`*)ネー いまだに華北中心に書いてるな
華南ではヒエアワは育たんぞ 「餅」はアルファベットで綴るとBingだが発音はピン
留学生や元在中日本人はそう発音していたよ ただまぁ、史書に残ってんのは「公式」の話だから、途中ピンハネなんかで
「こんなにもらってねえよ!」って兵士が憤慨する位の量だったんだろうねぇ。 サツマイモは清代以降でしょ。
にしても、クリでは乳のモンゴルに勝てるわけないわな。 20世紀にもなって兵站の適地徴収をしようとしたら軍隊があったらしい >>2
人は、どちらかと言えば、戦場になった場所の民衆が食べていたはず
古代の軍隊は、家畜を同行させて、戦場で解体しながら進軍してたよ
それ以外では、新鮮な食肉を供給する方法が無かったから 劉邦を追い詰めた項羽だが楚軍の輜重輸卒が山賊の彭越に襲われて食料を奪われたらしいが、米だったのだろうな。
それが原因で項羽が敗れて漢が成立したようだ。 >>1
秦の1日1.67Lは多すぎるだろ
全部食えないだろ
これ米何合だよ そんびんがかまどの数を徐々に減らして脱走兵が出まくりを演出してた つい数十年昔の大躍進政策失敗による大飢饉でも人食べてたんだから競争本能旺盛な人の子孫ばかり残ってしまった中国 中国の古代の記録を信用するなら、人口が6分の1とか10分の1とかになるくらい餓死や殺しあいがあったことになるんだが
こっちは無視なんだな >>19
孔子は人肉の漬物が大好物でしょっちゅう食ってたらしいよ >中国最古の軍隊糧食は狩りで捕った獲物でした。
と言う隠語の敵兵を食ってた 日本で窃盗・強盗・空き巣という狩猟活動に励む支那人は人民解放軍の工作員だったのか 皆さん考えることは同じ様です??
朝鮮半島には肌の色が紫の葡萄原人と言うのが朝鮮人の先祖らしいです!!
でも今は何故その色では無いのでしょうか???
簡単言えばワインの漬けされた葡萄原人の肉はお隣の国の最高の食材だったと言えそうです!!
後はご想像に!! 粥って言っても今の粥とは別物だから。
塩分とミネラルが不足するのを防ぐ為に獣の血を入れて煮てたし。 日本は大飢饉のときは浄土思想が流行って人の肉まで食べずに清く死のうって南無阿弥陀仏とか唱えながら消極的に死を選択したけど中国にも仏教があるのに何でカニバリズムが横行したのかね? >>31
古代では塩は贅沢品だよ
岩塩か大量の燃料を必要とする海塩のどちらか
アフリカの王国が、塩(岩塩)と金を主要な貿易品で栄えたぐらいだから >>36
奴らにとっては珍しい動物を食べることが最高の贅沢らしいから本当にうまいわけではないかも んなもん決まってるだろ、先ず略奪品を食ってそれが無くなったら相手の死肉を食ってそれも
無くなったら味方の人肉を食らうだろ。www >>15
一応言っておくが、栗(くり)じゃなくて粟(あわ)な 基本的には侵攻先で物資も金品も根こそぎ略奪三昧、捕らえた人も食べて応援って感じで食用にしてたからな。
昔の中国で一番生産量が多い食料は人類そのものだし。 唐の軍隊は食料として人肉の塩漬けを持って
西域に侵攻したらしい >>19
食料が歩いてくれるから、楽なんだよな
遊牧民が戦争に強かった理由の一つw 文革では共食いやってたんだっけ?
人肉パーティーって、理解できないわ
最近でも頭部の無い頭蓋骨が大量に見つかったりしてるよね >>39
殷王朝の首都が朝歌になったのも、あそこらへんは岩塩が取れたって説が有力だしね >>10
いつの話をしているかな?
殷王朝は一時的な寒冷乾燥が緩和して狩猟が出来たが
末期に寒冷乾燥化で放牧民族が南下不安定化した
その放牧民を吸収したのが西辺境の周で粟+牧畜食で
東方の殷王朝を遠征できた しかし緩やかな寒乾期
しばらくは寒乾緩和があって南でイネ作れたが
今より寒乾燥していたので稲作は局限的でのみ可能
唐は王族が鮮卑という北方の民つまり南下民
煬帝が水路だけ引いても凶作 華南も寒冷乾燥化
たとえば紙が2世紀に流布したのは寒冷乾燥化で
竹簡用の竹が洛陽付近で育たなくなったためとも
寒冷乾燥にも強い麻の屑で作った紙を利用した
その後統一王朝がほぼないのは寒冷乾燥のせい
イネのような温暖湿潤+潅漑必要な作物が凶作
とまあ 歴史の多くは気温と降雨の解析で説明可能
ほぼ食料の豊凶で説明できちゃうから
それほどヒト集団が賢くないこともわかる >>30
まー古代のそういう統計には色々と問題があるし
戦乱前後で記録上の人口が変わりまくるのは全部実際に死んだり生んだりしているのではなく
農民が逃散したり戻ったりしている結果だと考えられているな >>37
中国は森を切り倒して農地を作ったから、自然から食料を得る手段が無くなったため
日本では江戸時代でも狩猟で生活が成り立ったし、漁業では肥料に使えるほど魚も獲ってた
一方、中国では牧草地まで農地にしたから、「羊頭狗肉」という言葉が死語になるほど、羊も食べられなくなり、
人糞でも食べる豚と鶏になった >>53
人の肝臓が体にいいという話があって、肝臓だけ切り取ったりしていたらしいね いま、WOWOWで司馬遷のドラマやってんだけど
何度か食事風景が出てくる
ご飯はお粥でおかずは、野菜はおひたしで、炊き合わせなんて無し
食材1品をそのまま火を通しただけ
炒め物なんて無い
汁は澄まし汁
物凄く質素
現在の中華料理が誕生する以前の形なのかなーと感じてた
まあ、どこまで時代考証したか分からないが、>>1と同じような食事風景だったな
あとは、川魚の刺身とかも出てきたな そりゃ人肉やろw
攻め滅ぼした相手の肉を食ってたのがシナ人だぞw >>56
それはそうかもしれんけど、なぜか中国古代史のセンセー方はそういう記録は信憑性がないとしながら>>1みたいなのは正確な資料みたいに扱うんだよな 未だかつて、中国の軍隊が近代の軍隊の様に人民を守る「国軍」であった試しがない
常に残虐な独裁者を玉座から引きずり下ろし、取って変わろうとする国内外の人民から守る為の用心棒でしかなかった 人肉食に決まってるだろw 現在でも支那南部では死産や堕胎の赤ん坊を鍋で煮込んで親族が食べている。迫害して殺した民衆も食べてただろw 中国はめっちゃ広いから戦争の行き返りに数か月数年かかるなんてザラ
野菜などの生鮮食品?すぐ腐るだろ。肉?馬や輸送用の牛は食いもんなくなった時の非常食だな。結局一番日持ちするのは米や粟しかない
食いもんの補給?ねーよそんなもん。食いたきゃ奪え殺せ!てなもんだから中国の戦争は道中の略奪なしでは成り立たない >>63
人肉を食べるのは中国の風習だからね
大体、親が病気になったら、自分の太ももを削いで親に食わせるのが
親孝行と言われ、賞賛された(体にいいとされた)
これを褒めた皇帝もいたし、禁止した皇帝もいた
まして他人や敵の肉は当然食うのである >>55
人間が賢くないなんていうのは、トラックで種を運搬でき、農業用トラクターで畑を作り変えられる現代人の傲慢だよ
去年が寒冷だからと数百キロ先から、トン単位で大量に種を買い付けて、
農民に教育して別の穀物に植え替えるなんて現実的でない 人だろ?>>2で終わっているけど
とはいえ当時でも嗜好の差はあったようで
誰もが喜んで「ウメーウメー」してたわけではない模様 >>57
象がいた広大な森林を砂漠に変えるほど伐採したって凄いよな。 >>65
歴史や考古学の教科書が100年遅れてるせいだよ
文献だけじゃなくて最先端技術で気候や地質を
解析して起き得たことをシミュレーションする
理系の素養なければ話にならない世界
日本はその意味で社会からの扱いが遅れに遅れてる
信憑性のある資料って科学的に裏がとれてるもの >>74
体にいいから食べていたし、市場に普通に売っていた
様々な調理方法が記録に残されている >>77
日本はというか中国ではさらに遅れているようだが、都合のよい資料だけつまみ食いでしょ
欧米はそこまで中国史詳しく調べんし あれ?
通過する村を襲撃して、住んでる人を含めて食べてたんじゃないのけ? 狭い地域で短期間に1万頭とか、完全に根絶やしにきてるな さんざん人だ人だって言われてるけど、この板で誰かが書いてたんだが、支那畜共はプリオンに耐性があるらしい。
考えてみると狂牛病の騒ぎがあった時支那は全然騒がなかったような気がする。 >>76
熊本市中央区内に昆虫の自販機があるな。(・ω・)
下通りから離れているけど。(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 挑発もままならない荒廃した三国時代での緊急調達に関しては明らかに捕虜ですね
それ以外に説明がつかない >>83
遺伝子を調べたら狂牛病の予防が大きく前進するかもな 北から南に遠征するときって食料どうするか大変そうだな (ンーム`ハ)γー。oO その昔は悪かたアル、テヨン.....ンコの味がしタネ・・・
いにしえの、記憶のことョ 三国時代は軍はでかい臼を持って行っていて戦いがあると
そこで死んだ敵も味方もまとめて臼でごーりごり挽いて食ってたと聞いたで もう食べ物がないからお互いの子供を交換して殺して食べようみたいな話が普通にある 赤眉の乱とか人食いまくって人口激減。
光武帝が奴隷やら犯罪人みたいな戸籍に載らない奴等を解放まくっても人口は三分の一にも回復しなかったんだろ? >>90
(唯我`ハ´独尊)γまんチョン喰てたアル キングダムの秦軍も人間食べれば
兵糧切れにならなかったのにな
そこらに死体転がってんだから >殷の時代には「田狩」と呼ばれる大規模な狩猟活動が行われ、
田は日本では水田を指すのみとなったが、本来は耕作地全般を指す漢字。 支那は漢から三国時代に掛けて人口が十分の一に激減したらしいな
漢民族なんてこの頃ほぼ絶滅して今いるのはゴチャ混ぜ雑種だけだろう 三国時代の人口は当時の三国が把握できた人口で
実際はもっと多かったらしいな
それでも戦乱で減っていたのは確かみたいだけど 両脚羊なんて言葉があるくらいだから、人肉食は当たり前だったんだろうね。 (堰MΘ/チョノマーン凸>´;)せっぱぁーっ⁉
(;;´юω`;;)クツァっ‼ >>61
>あとは、川魚の刺身とかも出てきたな
それは鱠(なます)ではなかろうか? 赤眉の乱あたりだと
山賊が人を食べようとしたけど
親孝行なやつだから食わないでやったみたいな話がゴロゴロあって
緊急時やガチの飢饉では明らかに食ってる
ただ三国時代の程イクって人は
魏でスゲー活躍したんだけど
かつて曹操の軍勢が食糧難に陥った際に、
程イクは略奪を行い食料を確保したが、
その干し肉の中には人肉も混じっていたのだという
程cはそれによって声望を失い
ついに公の位まで昇らなかったのだという逸話がある
事実かどうかはともかく
そのくらいのタブーではあった 人肉って当たり前に喰ってただろ 数十年前の文革でさえ喰ってんだから 蝗が戦を止めた なんて話もあるよな
*アジアミリタリーサイト
http://moemoemoeone.web.fc2.com/index.html
*狙われる大学府
中国有名大学がハッカーの巣だった
*ロシア艦砲撃 ウクライナ艦3隻が
拿捕され海峡も封鎖へ
*台湾 軍事政治系記事まとめ >>109
敵軍に包囲されて食糧が少ない都市では互いの子供を交換して食べたという話もあるな
やむにやまれずやりはするけど、積極的にやるものでもなかったのだろう >>112
出展は三国志演技ではないし
事実でなかったとしても
そういう逸話ができるほど程度にはタブー視されていたってことだよ まぁ19世紀くらいまで食肉用の人間が飼育されてた国だしな 人間だろ。中国史には人を食った話がウジャウジャでてくる。
人食いは北京原人以来の伝統。
>>115
何かかわったものをと王様にいわれた料理人、
自分の子供を調理して食わせたという話があるが。 アワやらを引いて粉にはしなかったのな。粉に引いてたら美味しいけど保存性に劣る。
もちのままでも保存性に劣るw
どっちが良かったんだろうねw 古代に住んでる同じ地域の人種と今の中国人のDNAが全然違ってたりするらしいから
人口が10分の1に激減とかいうのも戸籍云々だけの話とは思えんけどね 人 、
正確には敵の軍人でしょ。
敵を倒せば倒すほど食料が増える。 >>24
秦の重労働する兵は1日1.67ℓの多寡秦の時代でもについて、粟は米より
だいぶカロリーが低いし貨幣代わりに物品購入に使わなきゃいけないから
多すぎると言うことは無かろう。
宋や漢になると支給量も増えてる様だから鍋釜携帯して従軍する兵には
秦の時代でも魅力的な量ではあっただろうけど。 子供や女は高級食料、
客をもてなすため嫁を〆て客に振舞うと記述にあるくらい。 腰鼓〜ググッテ皆晴れ、2,000年始皇帝時代と同じらしい え?そんなん今と一緒だろ
「椅子と机以外の足のあるものすべて」 西遊記で、妖怪たちが三蔵法師の肉を食べたがるが、あれは作り話ではなく
実生活に基づいていたわけ?
こわ〜。 古代中国の兵士って言っても
ウイグル人から蒙古人から満州族からチベット人から呉越まで多種多様
どうしてひとくくりにするんだ??
ヨーロッパ人って何を食べてた?って聞いても
スペイン人は?
フランス人は?
ドイツ人は?
ギリシアは?
ローマ人は?
トルコ人は?
全部ちがうだろう〜
ヨーロッパ食べ歩き紀行でも見てろ!って
>>78
そうそうおかずは 敵軍の兵隊の人肉。
焼いたり煮たり 糧食なら塩漬が良いね。 最前線の兵士が一斉に自分で自分の首を切り落として相手をビビらすということをしてたってマジ? >>142 >>2がウンコじゃないだけマシじゃないか?w 文革の頃でさえ人肉食があったそうだ。(出展:「食人宴席」 黄文雄/訳 光文社)
文革といえば1960年代だぞ。50年前だ。ぞっとするよ。 Fuck you を中国的に表現すれば 「お前の脳みそ喰ってやる」 自衛隊も、訓練兼ねて外来種や増えすぎた在来種を駆除して
捕らえたのを食ったり、商品化して売れ 酒も結構古い時代から作ってたようだが、何を原料に作ってたんだろうね。食い物すら足らないのに酒みたいに穀物大量消費する物を作っちゃうのもどうかと思うが。 古代だと輸送には牛馬を使うんだが、そいつらの飼い葉や水だけでも大量消費するし、
そもそもその牛馬は農民から徴発するから農民がダメージ受けるしで、
数十万の軍勢の食糧計画とか考える人は死にそうになるわな >>150
アルコールは簡単に作れるよ。
ようは糖分を発酵させればいいからそのままだと食べられない果実なんかの
有効利用として酒にされたりする。
水やお湯で割って飲む。 >>83
プリオンに耐性なんてあるのか
原理的に無理ではないか? 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話私家版 https://www.amazon.co.jp/dp/B07KY2T4M1
続・法窓夜話私家版 https://www.amazon.co.jp/dp/B07HZ49V46/
高校を卒業した学生の語学能力が、これほど貧弱で物の役に
立たないのは何故なのか。抜群の語学力を誇り、東大文学
部長までつとめた筆者が、外国にいる若者が外国語を習得する
困難さを正面から取り上げ、正則(期待されるような)
語学教育の重要性を指摘する、英語教育のための基本書。
外山正一『英語教授法』 https://www.amazon.co.jp/dp/B07KN8GR27
dyu >>146
支那文化圏では今現在も強精剤として人間の胎児が食されてますが
なにか? 自衛隊が訓練で巻狩りしたらダメなの?
イノシシとか問題なってるところ 行軍して設営して戦闘して、それで晩に雑穀を何合も平らげるとか、すげえタフだなw 中華の軍がやった鬼畜戦術
制圧した街の民を最前線に配置して進軍
降伏した敵兵と民を邪魔だから生き埋め(40万とか)
降伏した敵兵を疫病患者と一緒にして罹患させた後に解放
疫病患者やその死体を投石器で城址内に投擲
降伏した兵を適度に負傷させて解放
なんていうか生殺し戦術多過ぎ >>139
それもあって銅馬は負けた時、きっと37564だー!と思ってgkbrからの光武帝のフレンドリー対応に余計感激したんかなぁ… >>162
現代でも1日にそれ全部する事はまずない
古代中国なんかだとなおさら
皇帝が蛮族討伐に軍隊派遣しといて忘れてしまったんで現地で指示を待ってた軍隊がそのまま村作って土着したりしてんだから 三国志に出てる、呉の王(呉国の皇帝ではない)は守備の食糧不足の不足不満解消のために
上級将校クラスの会食に同伴して来た賓女を食料として差し出すところがある。
もっと下級兵の現場ではよくある事だったと思う他ない。 >>163
それを80年前にやったのが日本だからな >>154
麦は西から騎馬民族と一緒にやって来た穀物だから。
最初の頃は国王の命令で植えられてたらしくて、恐らくは騎馬の飼葉として育てられてたんじゃないかと思う。
麦が常食される様になったのは、製粉技術が普及してからの話。
それ以前の時代には「麦は不味くて食えない」みたいな話が残っている。 >>1
昔からシナの軍隊の食料といえば人肉に決まっている。 しかし中抜きされて
なんという事でしょう。支給される穀物が兵士に届くころには1/10になりました >>15
いやいやクリと乳なら圧倒的にクリの勝ちだろJK 性欲処理用の女は食料でもあり、まず腕から食った。
足食うと連れて歩けないからって話は本当なのか? >>1
そうだな。孔子も食べてたし、劉邦も言ってたし、戦争ってお互いの食料調達の場なのな。
そうじゃなっきゃ宦官、纏足なんてこと考えんよ。山も海もそんなに近くにないとこは
豚と鶏、人肉の奪い合いだったんだな。周辺の地域には獣の名前付けて捕らえて食って
たし。文化大革命でも随分生き胆取られたんだろ。遠い昔の話じゃないよ。それだけ厳しい環境と制度のシナ大陸だったんだよ。それでも良い人も随分いるらしいけど安心はできんね。 >>140
そりゃ范蠡が呉軍を脅かすためにやった。 >>172
晋の景公の新麦の話もあるから食ってはいたんじゃ? >>182
東呉の徳王(笑)って言われてたけどな
そうかな >>161
自衛隊の演習地敷地内なら別だけど、一般の国有地・民有地では、
万一の事故に備えて、民間人を対象地域内から排除することと、
無人地域の確認をする事が困難
万一、自衛官が発砲した銃弾で民間人が死んだら防衛相以下、
直属の上司まで芋づる式に辞職かと?
また、自衛隊の演習地も演習地としては結構狭くて、
その中で下手に動き回れば、不発弾による事故リスクがある
・・・演習地の中でも、比較的安全な場所とそうでない所がある
また、北海道や富士の演習地なら良いけど、演習地から外への流れ弾も怖い
逆に、大きな演習地は、演習地での自衛官迷子も怖い
・・・何年かに一度は迷子がでて、そうなると部隊総出で迷子捜しをする
自衛隊にリスクだけメチャ大きくて、メリット無し >>171
全く違う。中国国民軍のことな。日本陸軍は俺らの先祖で国民皆兵の近代軍
の模範とされたような規律ある戦争をしたから>>163 のようなことはやる訳ない。
中国国民軍は昔のままの軍閥だったから弱いくせに無茶苦茶やって日本軍に
協力するような同胞を皆殺しにした。軍もゴロの集まりだったし昔のまんま。
良く考えても見ろ。国民皆兵のご先祖だぞ。軍律に背いたら憲兵もいるしやらんよ。
大体永い歴史の日本の中でご先祖やっとらんだろ。急にシナ大陸に行きやれるもんか。
元寇の時は船べりに食料として対馬、壱岐の女達が高麗連合軍につるされてたんだぞ。
歴史を調べて自分で考えたらば直ぐに理解できることよ。 日本も戦国時代は馬の糞を煎じて飲んだらしいな
迷信ってこわいね >>37
何言ってんだ人の肉食った話なんて結構あるだろ そう言えば朝鮮戦争の時、国連軍が盛り返したら中共参戦して来ただろ。
あん時前線にやられたのは旧満州国で関東軍に協力し教育された満州人、
モンゴル人、朝鮮族、中国人の軍人や兵士達ね。それを後ろに中共軍がいて
彼等が下がれば撃つと言う形でやったんだぞ。お陰で東北地区を漢人は楽々
抵抗無く手に入れた。そんなことあったから今でも北朝鮮、満州あたりの軍
は中共本体の人民解放軍とは少し異質なんだ。彼等にすれば漢人が瀋陽軍の
上にいたとしても自分のご先祖達のあった仕打ちは知ってるだろうし、中々だよ。 日本でもいくつか人食のはなしはあるな
三木城や鳥取城とか
ひかりごけ事件、ゆきゆきて神軍とかいろいろ 天明の大飢饉では飢えのあまり人肉を食べたって本当?
ttp://www.edojidai.info/kurashi/tennmei-daikikinn.html >捕らえた獲物
めっちゃ意味深
明代の水滸伝でも肉饅頭にする描写があるくらいだし、
古代ともなるとなぁ ひもじい環境下で生きる為に仕方なく食ったことと、弱いもんを捕らえて
餌にして食ってたこととを、ごちゃにすんなよ。 インディアスの破壊についての簡潔な報告
(グアテマラではスペイン人の)「無法者はいつも次のような手口を用いた。村や地方へ戦いをしかけに行くとき、
彼は、すでにスペイン人たちに降服していたインディオたちをできるだけ大勢連れて行き、彼らを他のインディオたちと戦わせた。
彼はだいたい1万人か2万人のインディオを連れて行ったが、彼らには食事を与えなかった。
その代わり、彼はそのインディオたちに、彼が捕らえたインディオたちを食べるのを許していた。
そういうわけで、彼の陣営の中には人肉を売る店が現われ、そこでは彼の立会いのもとで子供が殺され、焼かれ、また、男が手足を切断されて殺された。
人体の中でもっとも美味とされるのが手足であったからである。
ほかの地方に住むインディオたちはみなその非道ぶりを耳にして恐れのあまり、どこに身を隠してよいか判らなくなった 水滸伝は宋代だっけあの作中でも人肉入り饅頭は出てたな
ただ一般的な食べ物扱いでは無かったが風習としてはあったんだろうし古代なら 敵兵を食いながら進軍かよ、おそロシア
リアル進撃の〜だな 糧食の歴史も面白いな。
人民解放軍の携帯糧食の紹介では、内容物が大量の炒飯だったな。
やっぱ米だよ米。 マアッラ攻囲戦
マアッラは十字軍の将兵が期待したほど豊かな町ではなく、略奪しても十字軍の食料や金品や装備の不足を補うことはできなかった。加えて冬も近づいていた。
レーモンらがエルサレムへの行軍再開の折衝をアンティオキアで続けている間、飢えた将兵はムスリムの市民の死体を食べ始めたとされる。
年代記作家・カンのラウルが書いた『ゲスタ・タンクレーディ』には次のようにある。
ある者によれば、彼らは食糧不足のためやむなく、異教徒の大人を鍋で煮て、子供は鉄串に突き刺してあぶり焼いて貪り食った。
シャルトルのフーシェも、『エルサレムへの巡礼者の事績』でこの事件について次のように書く。
これを語るには身震いがする。わが民の多くが、あまりにも過酷な飢えによる狂気にさいなまれ、
死んでいるサラセン人たちから尻肉を切り取って刻み調理をした。しかしまだ肉に充分火の通っていないうちに、獰猛な口で貪り食ったのだ。
エクスのアルベールはこう書く。
キリスト教徒は殺したトルコ人やサラセン人を食べるに躊躇しなかったのみならず、イヌまで食べた 有名な蒙古軍は
羊の肉を熱した盾で焼いて食べた ←後の「焼き肉」ジンギスカン
また
戦で死んだ馬の肉をニンニクやタマネギと共に叩いて喰ったのが
「タルタルステーキ」 ←後の「ユッケ」
これを焼いたのがハンバーグ
ちなみにタルタルとは「タタール」から転化した単語
>>1
滅んだ純粋漢民族アイデンティティの奴らは基本的には
農耕を理解していたから麦と米を主食にしていただろうね。
だけど北方流入の騎馬遊牧民系は悪食だから
2足も4足も蛋白源ある物は何でも食うだろwwwwwwwwwwwwww
人間ももちろん余裕で食ってるよw 歴史スレを見逃していたわ、残念。
古代中国、とりわけ中原地方の主食は「粟」です。
ここはポイントとして押さえておきませう。 キングダムでスピンオフ企画でもやってくれよ。
売れるんでしょ今。グルメ系。 >>39
関羽の前身が、塩の密売人だったんじゃ無いのか?ってくらいですからね。
密売人は、普通に私兵を雇えるくらい儲けてた。 >>165
その話もうちょっとしてよ。
面白いわ。忘れ物の話。スケール違うな。 >>169
ざっと頭の中を整理してみたけど、正史演義ともに、そんな話は思いつきませんね。
何か他のネタとごっちゃになってるのでは? 籠城戦になったら役に立たない子供を食べてたんだろ
それでも自分の子供を殺めるのはしのびないと他人の夫婦と子供を交換してから食べてたとか >>208
あー
何か売れてる漫画やアニメのスピンオフで、どういうわけかグルメものが紛れ込むんでしたか。 >>206
いやさ、実際は逆らしいよ。
元々、古代の純粋漢族は犬肉が大好きで、樊かいみたいな犬専門の屠殺業者が居たくらい。
屠畜業者は、一撃で殺す技術が有るから乱世だと軍人転身が多い。
それが、唐時代あたりから禁忌に近く成ったんですよ。
北方遊牧騎馬民族の文化では、犬は我が友だからね。
南方の華南の純粋漢族の末裔が犬食いなんよ。 >>185
たぶん麦粥ですね。
製粉してうどんや饅頭したのは隋唐あたりからかと。
あと馬の飼料にされたのは主に大麦かな。 >>212
もっとエグイのは、戦闘の役に立たない侍女を殺して兵士に振る舞ったって
お話。
建前は兎も角、下男や下女は貴族の持ち物で財産だから、馬みたいに殺して振る舞うって
有る話だったらしいね。 「食人宴席―抹殺された中国現代史」鄭義 (著
この本に書いてある衝撃的事実は、あまりにも刺激が強烈過ぎて、下手なホラー映画よりも面白く、また恐ろしい。
文化大革命中の広西チワン族自治省において起こった、史上空前の食人事件。
その食人事件の真相を暴くべく、反体制作家のツェンイー氏が現地へと赴き、さまざまな人々にインタビューを試みるのだが、
この取材中においてすら、「奇妙な出来事」「自分の身に危険が迫っていること」
が、たびたび起こり、読んでいて、これは事件の怪奇性もさることながら、ツェンイー氏自身の取材記そのものが、あたかもなにかのミステリーホラー小説じみており、手に汗握るような面白さが、全編に充溢している。
文革中、あまりにも無意味に人命が奪われた事は今日もはや否定することは出来ない。
しかし、まさか人間を生きたまま喰らい殺害するなどという事件は前代未聞である。
地獄。
そう。一言で言ってツェンイー氏の報告によってあきらかになった文革時の食人事件及びその当時の広西チワン族自治省は地獄そのものだった。 >>216
斉の桓公に、我が子の肉を食わせた料理人の話もありんすな。 >>25
曹操『ええやないか!女優がええ!』
司馬懿『でしょう?』 食料よりも水をどうしてたかの方が疑問だわ。
河川沿岸はともかく伐採し過ぎて砂漠化した涼州司隷辺りの進軍とかさ。 非常食は人間だったんだろ。
食い過ぎて、住民がいなくなったこともあるだろうが。 >>202
諸葛亮とか司馬懿とか何食ってたんだろな? 「田狩」
この田は何を意味するんだ?
畑のことか? >>221
支那は昔は今より緑豊かで水もそんなに不足してなかった
殷では鯨飼ってたぐらいだよ >>215
そうそう、所変われば社会の常識も変わるって例を一つ。
古代ローマ軍では兵士の配給は小麦、騎兵の飼い葉は大麦やライ麦なんかなんで、カエサル軍が
補給が途絶えて小麦無くなったんで、仕方なく肉食ったとか記録有ったり。
小麦が無ければ獣肉を食えばの世界だったみたい。 >>227
その豊かだった森林を始皇帝の大事業から始まって漢末期までに砂漠化させてんだよね。
日本列島とほぼ同じ大きさの森林だったらしいのに。 >>2で結論
中国人にとって人肉を食べることは楽しみのひとつであり、
太古から伝わる食文化だった
孔子、孟子、諸葛孔明なども人肉をこよなく愛していた
両脚羊(食用人間)…人を食べるのが中国人には最高の贅沢だった 肉体労働を常時すると6000カロリー必要だからなあ >>228
それで思い出したけど、塩婆様の本だったか、ローマ軍では部隊ごとの処罰のひとつに、食事を大麦にするってのがあったそうな。
おまいらは馬並みだ、っていう、一種の恥辱刑だそうな。 >>235
大麦ってパンにするとクッソ硬いですからね。
水でふやけさせないと食べられないぐらい。 栗って
完全食品に近い
炭水化物、タンパク質、ビタミン、ミネラルまでとれる
コレだけで、ほぼ充足される
超優良食品
縄文時代の人はすごい そういや、諸葛亮が人身御供のかわりに饅頭を作ったって伝説もあったな >>236
逆に言うと日持ちするんで、糧食に良いんでしょうね。
南アメリカに大帝国が出来なかった理由って、食料問題らしいですよ。
ジャガイモも、トウモロコシも貯蔵が難しいんで大軍の輜重が持たないらしい。 >>241
大航海時代あたりの保存用のパンって、大麦原料のやつもあったんでしょうかね。 えー濃いめとはいえお粥なの
そんなんじゃ力出ないでしょ
ところで、今の人民解放軍て前線に中華鍋持っていって、その場で昼飯作るとかほんとなのかな >>243
粥は腹に溜まらないが、その分量を食っていたと思えばよろし。
飯よりも調理が簡単で、早く食べられるというメリットもある。 >>1
年代が書かれてないのでよく分からんが、紀元前の話かね。
邦訳記事をわざわざ公開するなら注釈入れてくれると嬉しいんだが。 何が言いたいの?
完訳水滸伝に「人間をおいしく食べる調理法」があって吐き気を催しました。
今はいい時代です。
食糧生産性を上げ、人を食べなくても良くなりました。
それとも先祖を貶めて自分は正しいとか悦に浸っているの?あほらしい。
地球上に人口が増え過ぎて人口が養えないほど増えたらどうするの?
蝗のように他国の食料を食い尽くすの?
否定するなら人口を急増させている中国は人口を減らす努力をしてね。 ローマ兵も主食が大量の麦がゆで、麦食い民族と言われたりしたらしいから中国兵が粟粥食べて戦争していたという事に違和感はないな >>53
頭部のない頭蓋骨
結局何が見つかったのさ >>346
しかしさあ、西遊記の妖怪って本当に人肉好きだよねえ?
お前ら、他に食うもん有るだろ?ってぐらい人食いたがる。
正直、基本的に雑食の動物って不味いと思うんだよね?
熊肉が美味いって言われるのも、冬眠前に大量にドングリ食うからだし。 臨シLinziの住民の遺伝学的研究
2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝 WANG Liらは、
約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)
遺跡から出土した人骨、 及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表した。
それによると、三つの時代の臨シ人類集団が異なる遺伝的構成を持つことが明らかになった。
約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、
約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近く、
現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。
この研究により、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団が
存在していたことが明らかになった。また、2500年前から2000年前の500年間に臨シ集団に
大きな遺伝的変化が生じたことから、過去に人類集団の大規模な入れ替えがあったことを示唆している。
大陸に元いた人種は皆食われてしまったのかな?ってのは冗談だけど >>243
オスマントルコのスルタン親衛隊が…背中に鍋背負って…皇帝と同じ鍋のスープを食べる栄誉職だっけ? 四つ足の獣を食べた
人間が地に手をつけば獣とか言って食ってそう >>55
日本の戦国時代の始まりなんかもマウンダー小氷期と重なってるんだよね。ゲルマン民族の大移動なんかも寒冷化とピッタリ重なってる。やっぱりあの時代の中国の歴史のごちゃごちゃは気候と大きく関係してたんだ。納得、解りやすい。 満州へ進駐した人の話聞いたことある?中国人は物置小屋に人間の死体が何体も保存してて皆で食ってたって。寒いから冷凍保存で、日本軍が長征進軍すると疲れて歩けなくなって置き去りにされた人が拉致されて食われて、日本人は美味いって評判が立って困ったことになったとか。 軍隊が行軍・野営中に狩猟をするのは普通のことだろうが
それは訓練がメインで捕れた獲物は軍隊全体に食べさせるほどはないだろ
もし狩猟の上りを当てにして行軍するバカがいたら見て見たいわ
そういう点で記事の前半は駄文
そんなこともあったねえくらいの話が記載されていたのを拡大解釈したのだろう 現代中国軍のレーションはソイレントグリーンだったりして。 >>1
鹿ったって二、三本足でしょ?
三本足はまんま撲殺して喰う。二本足は喰う前に楽しむが大陸のデフォ♪ 「おい、あいついないぞ!」って行軍後の夜に探しに行くけど、どこにもいなくて村の中探しまくったら物置小屋発見して開けたらびっくりしたって。中国人にとって習慣的なもので普通のことだった。若い女性が美味くて経産婦は不味い。日本人は格別美味かったとか。 チンギス・ハーンの時代ならタルタルステーキなんだろうがなあ >>248
テーブルに空けた穴から生きた猿の頭の頭頂部を出して食べてた話があるから…つまり、そういうアレじゃないの? まあ、人を殺す目的の1つが
人を食べる事なら理にかなっている。 >>2
過去の話ではないから、現在進行形の問題だから、違うと思う。 >>261
> 日本人は格別美味かったとか。
支那人に日本旅行が人気なのはそれが理由か…((((゜д゜;)))) >>254
食ってそうってか
両脚羊って名前でばらして肉売ってたやん
今から70年程度前の話だぞ >>1
田狩って。
農作地を荒らした動物を狩ってただけなんじゃね?
中国語で田は日本で言う畑だし。 >>241
馬がいないのも大きかった
人が運ぶしかない輜重だと賄える距離が限られて支配領域の大きさも限られる 中国人が人肉を食ったのはすでに知られていること。
工作員が? 毎日移動するたびに竈の数を減らしていって兵の逃亡が相次いでいるように見せるんだろ ちなみに秦の白起が趙の軍隊数十万を生き埋めにした長平のあたりは今でも
土を掘ると人骨がゴロゴロ出てくるそうです。
んで、そんな長平の現在の名物料理は同じく白いお豆腐料理。
何か違うと言いたくなるのはたぶん自分が日本人だからなんだろうな >>282
今もって豆腐の原料、大豆の肥やしになってお役に立ってるんだな>生き埋め 戦いで負けた方の兵隊をそのまま自軍に編入してるんだけど、
服従するか食われるかと言われたら服従するわな。 >>282
中国は昔から大げさに書くから数十万人も生き埋めになんかしてないと思うぞ?せいぜい一万人くらいやろ
あの時代にどうやったら数十万人も生き埋めに出来る? 醢(ししびしお)という人肉の干物は美味しんだってな
楊貴妃の好物だったとか
今でも作られているのだろう 何でも食うんだな、人間も 唯一食えないのが机だとか >>285かなりの人骨が出た模様
趙はこれで滅亡が決定した大規模な防衛戦 孔子が弟子の肉を食った系の話って良くでてくるけど
ソースがよくわからんのだよなあ
結構昔の本でも出てくるから何かソースがあるのだろうが
ずっと後世の書物だったら信憑性がゼロだよね 日本のカニバリズム系の話題なら
戦国直後の雑兵物語に戦場で死体の血を飲んで渇きを癒すとかそういうのがなかったっけか
日本だと戦国時代まで籠城戦が非常に稀だし、戦国時代でも城を完全に囲まれて降伏を許されず餓死まで追い込まれる例は多くないんじゃないかなあ
少ないとはいわないが、特別多いとも思えない 中国の場合とことん相手を潰す殲滅戦が多そうだから食人も多そうだな >>289
なに言ってんの?
滅亡までかなり時間かかっているぞ
白起なら始皇帝の曾祖父時代の将軍だ
だから数十万人も生き埋めって嘘っぽい
南京大虐殺と同じでだんだん大げさに言い出すのが中国 >>291
血液はすぐに凝固するから最初からそれ目的で殺さんと無理
よほどの場合やろ 古代とは同じ地域の住民のDNAも違っているというから、大袈裟ばかりとは思えない
基本殺し合いが好きな連中なんだろう、文革とか基地外地味てるし 敵兵や民衆の人肉だろ。
有名だよ、その話。何故わかっているのに言わないのかな。
まともな中国研究者なら知っているだろう。 >>292
古代中国なら紀元前とかだから人類自体が倫理的ではなくまだ野獣みたいなもんだったんではないかな?
だから共食いに現代ほど抵抗ない
台湾だって日本が統治するときに首狩り禁止するまで成人の儀式としてやってたくらいだ
パプアニューギニアとか未文明な場所では食人は20世紀まで珍しくないしな >>55
たしかに近代のWW1でさえ、実はそれが原因って話だし >>291
>戦国時代でも城を完全に囲まれて
つ「かつ江さん」 ローマ帝国時代はモラルとかが欠如してた時代なので
ローマ市民も普通に食人してたらしい
また近親相姦もごく普通だったみたい
大昔ならまだ言い訳もできようが、現代でそれやってたら世界からマトモに相手してくれないだろうな >>297
古代中国は諸子百家とか、むしろ中国のピークだったと思われる。
それから、食人は、憎い敵王の息子を煮てスープにして敵王に食わせるとか
長年の敵を塩漬けにしてスライスして諸侯に配るとか、
別の意味があったと思う。そりゃ好物で常食してた人間もいるかもしれんけど。
他に美味いもの山ほどあるから、熊の掌の柔らか煮とか、
最後に食べて死にたいといった王様もいたぐらい。 >>305
形而上的なことは上流階級だから
庶民はまだ現代みたいな倫理観ないやろ >>305
熊の手を最期に喰いたいって言ったのは敵に捕まった王様だった記憶が。
調理に一週間レベルで時間がかかるから援軍が来るまでの時間稼ぎの
方便として。
なお、聞き入れられず処刑された模様 >>285
項羽とかを見ると、崖とか谷底近いところに彼らを騙して集めて不意打ち
をかけてパニックになった連中は一気に崖下へ、ってことらしい。
ちなみに日本でも倶利伽羅峠で木曽義仲が似たようなことやってます。
>>286
孔子は愛弟子の子路が殺されてその肉を塩漬けにされて依頼、醢は
食べなくなったって記述があるけど、この醢が人肉の塩漬け限定か、
それとも肉や魚まで含めた塩漬けなのかは不明。旧2ちゃんを含めて
ここでは人肉人肉言うのが多いけれど証拠は無し。
あと余談ですが楊貴妃と言ったら彼女が愛食したライチの木だかそれを
株分けとかして生き残らせただかというのが現存して、その木になってる
ライチは一粒5万円するとか10年くらい前に聞いたことが >>305
もうその時代までさかのぼると、今の中国人とは人種も違うだろ 支那や朝鮮では城と言えば街そのもののこと。
敵に攻められて負ける、落城すると言うことは、
支配者庶民問わず都市の住民全部が殺され喰われると言うこと。支那チョンの戦争の目的は土地を奪うこと。住民は邪魔者でしかない。
日本の戦争は住民はターゲットにならない、戦闘中は山にでも逃げてて戦争は終われば降りてくる。
戦争の目的は支配権、徴税権を奪うことで貴重な納税者に手出しはしない。
これが戦争観どころか人間観まで支那チョンと日本が大きく異なる理由。 >>312
白起が長平で趙軍を生き埋めにしたのも軍隊同士での話ですよ?
厳密に言ったら投降兵だけど。 世界で戦争と言えば、異民族が自分の住む土地を捨て、異民族の住む良い土地を奪う行為のこと。
戦争と民族移動とはほぼ同義。前漢時代1億近い人口があった漢人、三国志の時代には400万にまで激減したらしい。
その後を埋めたのが匈奴や女真、華北、華中には漢人の血はほぼ残ってないと言って良い。華南は元々漢人の土地では無かったようだし。 >>313
日本では敵兵にしろ敵国民にしろ、大量惨殺という話は聞いたことがない。 >安禄山の反乱軍には石臼部隊というのがあった。直径数メートルもあるようなでっかい石臼を運ぶ部隊です。
>反乱軍とウイグル軍が合戦するでしょ。
>どちらが勝っても負けても戦闘後の戦場には死体がたくさん転がっている。そこに石臼部隊がゴロゴロと巨大石臼を運んで登場します。
>生き残った兵士たちは敵のも味方のも死体を運んできて、どんどん石臼に放り込んでゴーリゴーリ臼をひく。
>死体がミンチになってじわじわでてくる。これを団子にして食べた。気持ち悪くて御免なさい。
ttp://timeway.vivian.jp/kougi-35.html
>「この黄巣軍は、その大軍に食糧を供給するために、大規模な「人肉生産工場」を設置した。」
>「中和三年(883年)五月、黄巣は兵をひきいて陳州を攻めて百日が経った。(中略)賊(黄巣軍)は人々を捕らえて食用に供した。
>一日ごとに数千人をも食べてしまった。賊は『舂磨砦』という巨大な臼数百基を備えている。人々を臼に入れて、骨も一緒に細かく砕いて食用に供した。」(『唐書』黄巣伝)
>https://marco-germany.at.webry.info/200709/article_24.html 近年、日本でも「健康に良い」などと雑穀ブームが起きている。
重量当たりの価格では、既に、雑穀の価格は、米などの主要穀物の価格よりも高い。
このような雑穀の普及を阻害している要因は何だろうか?
やはり、主要穀物の管理技術が、極めて機械化、効率化されていることにある。
逆に雑穀は、管理技術が非効率だ。
本来、生態系は、多様な生物の組み合わせによって成り立っている。
また、環境に応じて植生は変化し続ける。
さらに、頻繁に耕せば、河川敷のよな状態になり、土壌としては異常な状態になる。
本来は、自然の生態系に似せて、類似種作物を交えた擬似生態系で栽培を行なうのが理想的だろう。
ドローンを利用したり、AIを使った選別など、
多種多様な食糧に対応した管理技術があれば、
土地への負荷の少ない食糧生産も可能かもしれない。
近年、日本の山野は、管理が多く必要で、根張りが浅く、
山が荒れやすい杉の単純林(mono clone cvultivation)が多い。
こういった植生は、極めて不自然だ。
日本では、古来、縄文人は、どんぐりなど樹木の種子を食糧としてきた。
新しい技術を使って山を、管理の簡単な樹種を使った食糧生産の場にできないだろうか? >>285
包囲され糧道を絶たれて降伏した兵だから
餓死寸前でほっといても死ぬ
横山光輝漫画では食事を与える約束で塹壕掘らせて上から土かけて埋めてたが
そのやり方でもとても抵抗できない
秦に次ぐ強国だった趙はその後簡単に首都を包囲され魏から信陵君が救援に来なければ
危なかったほど弱体化したんだから1万程度の被害のわけがない 毛沢東・1957年5月17日の党大会
「世界大戦だといって大騒ぎすることはない。せいぜい、人が死ぬだけだ。
人口の半分が殲滅される程度のことは、中国の歴史では何度も起こっている。
人口の半分が残れば最善であり、3分の1が残れば次善である」 戦争に負けると負けた町の人間が食われる
中国はそういう世界です >>318
私にお任せを。山林を宝の山に変えてみせます。 >>289
春秋戦国時代って簡単に首都が包囲されてあっさり放棄しちゃうのに、これまたスナック感覚で再興されたりするよな。 斉「趙を攻めてる魏の首都を包囲するンゴ、楽キに首都どころか2城以外簡単に取られたンゴ、でもすぐ全部取り返すンゴ」
楚「呉やら越やらに首都何遍も落とされたンゴ」 >>319
埋めた秦軍も十万人くらいいないと生き埋めしている間に抵抗されていくら何でも無理だろ
あんたの理屈なら南京大虐殺だって2, 3万人の日本兵で十分可能になる 南京はそもそも当時の人口とかはっきりわかってるし(100万とかいうのは肯定派の流したデマ、疎開前の数字)
民間人標的の虐殺なんてなかったのははっきりしてるし >>311
そうだね。
日本の争いの場合は、昔から支配権や徴税権の争い。
全滅しないように支配階級の民族や氏族も敵味方に分かれたりして、敵も自分の親族の一員だったりする。
勝敗がついた後も、敗者の祟りを信じる文化もあったりして、仏さんを蔑ろにし難いし。
移動してきた遊牧民と土着民、肌や髪や目の色の違う民族同士の戦いだったなら、日本でも相手全てを殺すまで戦っていたかもね。文化や習慣の戦いにもなるわけだし、宗教の戦いでもあれば…。 >>308
逆。
人間じゃ無いって言い分のほうが証拠が無い。
醢は古来より刑死した人間の肉を塩漬けにしたものと言う意味。 後、人間の肉と明言してないから人間の肉かどうか分からないなんて良く苦し紛れに言うが、
全く詭弁。
漢文と言うものは簡潔に述べることを良しとするもので、
文脈から明らかなものをクドクド説明的に記述しない。
全くの常識。
醢が人肉を表すことが当時は一般的であった以上、
特に断りなく醢と記述されていたら、筆者は当然人肉を意味して書いたのだ。
当然のこと。 >>328
10万くらいは余裕でいるだろ
秦の総兵力の記述はないが
別動隊の兵力だけでも2部隊で合わせて3万とされてるんだから
秦にとっても大事な決戦だから大軍を出すのは当然
しかも包囲網が完成した後は本国から万全を期すため予備役まで動員しての増援が来てるんだし
ちなみに横山漫画では趙兵がかなり深く掘ったところで上から土をかけたので
飢えた趙兵は穴から這い上がる力すらなくって描写だったが >>336
ザマの戦いでも両軍合わせても10万いかんやろ… 中国の戦いに関する史書の記述で、数字の正確さは期待するなってばっちゃが言ってた。
ところで、軍勢五万とか号してて実際の兵数は2・3万とかでも、そこには人頭として認められてない、頭数には入らない奴婢とかも随伴してるわけで、誇張した兵数と実際の人数の差違はそこまでないんじゃないかってこともあるらしいな。 >>337
当時のローマはまだそこまで大きくないが
そもそもローマは国の規模のわりにそこまで大軍動員しないからな
その頃は市民兵で市民権もたない無産階級や奴隷は兵役免除
一方のカルタゴは傭兵制で外人部隊頼りだし
どちらにせよ中国みたいに下層階級までかき集める方式でない 輸送力も保存技術も乏しい時代に限られた区域にどれだけの人員や馬匹を(両軍合わせて)集積できたのかという疑問は補給という観点からは永遠の謎でな。
少々の人数でちょっと篭城したらあっというまに疫病が蔓延するような点からも人が集まればエラいことになるんじゃないのっていう衛生面の話も。
漢末新初の時代の緑林軍が合流したら疫病が蔓延したんで軍を分けざるを得なかったていう話もすげぇリアルな話。 ローマ軍は自国の輸送能力は兵員輸送だけに特化して、物資の輸送は同盟国に丸投げでどうにかあのレベル。
「補給戦」によれば鉄道や缶詰などが発明整備された19世紀の普仏戦でも兵員輸送に補給が追いつかず、プロイセン兵士は弾薬は初期装備だけ、食料はそこら中を襲って賄いながら片手間でパリを包囲してたレベルらしい。
それでもようやっとプロイセンだけで50万の動員数。 モルトケの神格化によって三傑の一人であるローンが心配していた補給能力についてはなかったことにされて、そのままWW1でドイツ帝国は敗北した。 兵站のこと考えるよりも速攻戦で片付けろ、が長く世界の主流だった面も >>323
まるで、ガラス球に封じられた
小エビ、水草、藻のバランスドアクアリウムみたいじゃないですか! 一方大韓帝国は荷役用に馬を用いて草臥れたそれを糧食とした
かの有名な蛮欧征伐で遠く独逸にまで到達した時馬を潰して喰う様をみたゲルマンが
「韓馬喰う!(はんばくう!)」と驚いたのがハンバーグの起源であることは言うまでもない 胎児スープや猿脳は名残り?
人の形に近い物を食うのは躊躇いが生じるが
幼少期から食べていけば抵抗無くなるのか >>332
それだと、じゃあ普通の肉や魚の塩漬けは?っていう疑問が残るんですが。
たとえば刑罰で言う鞭刑は言うまでもなく人間を鞭打つものだけれど鞭という字
それ自体が「人間だけを」鞭打つこと限定の言葉じゃなくて牛や馬を鞭打つとき
にも使う。刑罰としての醢が人間を殺して塩漬けにすることを意味していたとしても
醢って言葉が人間限定とは限らない。
獣肉や魚の塩漬けを指す別の言葉が提示されて初めて、醢っていうのは料理と
しても人肉限定っていうのが成り立つんじゃないかなと。 追記すると孔子は「盗泉」って言う泉の名前が気に食わないからと言って
のどが渇いていてもその泉の水は飲まなかったっていう超験担ぎ野郎。
そんな彼が弟子(しかも超お気に入りの弟子)が塩漬けにされたから世の
塩漬け全否定になったとしても全然不思議じゃない 中国シンパって古代史の都合の悪い記述は誇張だといって無視するよね >>348
拝み屋の倅だからな。
怪力乱神を語らずなんていう割には葬式の手順にはやたらと煩いのもそのせいか。
大工かなんかの倅だった墨子が鬼神を信じるくせに葬祭にはえらい淡白なのとは好対照。 粟粥とか粟ぜんざい食べて見たいな
池波正太郎さんの本で出てくるんだよね >>348
一番のお気に入りは、顔回じゃないの?
ドラマでいしだ壱成が演じてた 人を鹿って数えたんだろ?日本でもウサギを一羽二羽って鳥と同じに数えるんだよ。 >>351
めっちゃ大男だったらしいですね>孔子
>>353
後継者として最も高く評価して信頼していたのが顔回で子分として最も可愛がって
いたのが子路なんじゃないかなと個人的には 顔回がプラトンで孔子がソクラテスみたいなもんだ
論語は孔子の言行録だけど、たぶん論語の重要部分は顔回か子路が孔子の発言を聞いて書き留めたものだと思う 司馬遼太郎や横山光輝の古代中国モノ作品は浴びるように読んだ
食事の描写はテキトーだな 決まってるがな〜、人肉でしょ!
文化大革命の時も、人肉食べていた! 今日の司馬懿は
牢屋で肉なんて出ない
肉食わなくても1年過bイせる
こう申しておりました
この肉ってなんだろう? >>358
「孔子暗黒伝」にも出ていたが、高弟とされる10人の弟子の中でも顔回、子路、子貢の3人はさらに特別な印象だな 間違いなく、人肉だよ。
あの連中は人喰いだからね。
その事実は知らせないんだよな。 戦争に負けたら食われるから必死で戦うアルヨ
まさに弱肉強食アル 粟なんて完全にすり潰して麺やパンや餅にしてもまずくて食えたものじゃない
当時の人はうまいと思って食ってたのかなあ >>234
>肉体労働を常時すると6000カロリー必要だからなあ
粟1カップ(200cc)で473キロカロリーだそうだから1.67リットルで3949キロカロリー
現代人としては食い過ぎだが、戦争やってると肉や野菜入れて丁度なのかもな。 まあ人肉食や戦争の死者数の記述が誇大で信用ならないなら
>>1の食糧の数値も信用できないな
中国シンパさんも同意してくれるよね >>370
曹操「だまれ その意味で申したのではない」
「こやつの首を はねい」
楊脩「げぇっ」
ドカッ 先週のスーマーイ司馬懿さんは、農民になって畑耕してました 支給された粟でこっそり酒作ってた奴もいたんだろうな 酒はコウリャンじゃないかな
今も中国にコウリャン原料の酒が沢山残っている
白酒も原料がコウリャン。透明で度数がやたらと高い
米は寒くて栽培できなかったんだから 今週のスーマーイ司馬懿さんは
皇帝曹丕が崩御して、息子の男色天子の側近に復帰しました >>112
それ出典は演義じゃないだろ
正史三国志じゃね? 春秋時代の呉越、楚はアワでなくてコメなんだろうね
中原だとたんぱく質はもっぱら肉なんだろうけど、江南は魚ばかりか
始皇帝が巡視中に崩御して、車の前後を魚醢を積んだ車で囲い臭いをごまかしたらしいけど秦でも魚を食ってたんだね
民衆の口に入るかはどうなんだろ 塩や海産物は斉から流通してそうじゃね?
川魚は知らね 日本の鯖街道みたいに、干し魚を優先的に運ぶルートとかあったのだろうか?
あっちはスケールがでかいから分散してて残ってないのかな 呂布配下の将軍が猪を獲ってこさせて鍋と酒を部下に振舞って呂布にしばかれてたな。 三國志なんかでも
人肉食いがでてくるもんな
演義だし創作かもしれんが
美談として感動したって描写だしな >>385
むしろ演義だけど「松江の鱸」がご馳走として出てくるくらいだし中国で
魚料理と言うと川魚のイメージが強い ■文 化 大 革 命 当 時 の 中 国
無 抵 抗 な 一 般 人 が 人民解放軍や紅衛兵によって虐殺され「食われる」 ■
生きているままに人肉を削ぎ、生きている人間が絶命すると、
人間の心臓、肝臓、胆嚢、腎臓、胸肉、骨髄、太もも、足、筋、・・人間の骨肉を切り取り、削ぎ取って、
それを煮たり、揚げたり、炒めたり、そして酒にゆっくりと漬けたりして、さまざまな調理方法で、
豊かな献立にしたのである。また<人肉宴会>では酒を飲み、杯を交わし、論功行賞をした。」、
「こうして食人の嵐がうずを巻き、集会があるごとに闘争があり、闘争があるごとに死者が出て、
死者が出れば、かならず食われ、惨劇が繰り広げられたのだ」。
『食人宴席―抹殺された中国現代史』 カッパ・ブックス
鄭 義 (著), Zheng Yi (原著), Ko Bunyu (原著), 黄 文雄 (翻訳)
■『支那人の食人肉風習』(桑原隲藏著、筆者は当時京都大学教授だった) ■
肉屋では、人間の肉が吊り下げられて売られていたという記述がある。
この人肉食は、決して過去のことではない。
「食人宴席」(鄭義 光文社) によれば、現代でも行われているのである。
武宣県では、食人事件が流行にさえなった。街頭引き回しデモ闘争があるたびに、老婆たちは
かごを下げて、糾弾集会が終わるのをじっと待っていた。
人間が殺害されると死体に競って群がり、なるべくいい人肉を切り取って持っていく。
遅れてきた者は人肉を切りとれないので、骨まで持っていく。人肉を食べた者は、
幹部のなかでも少なくはなかった。
例えば、造反から出世した武宣県革命委員会・王文留副主任。彼女は最初、共産党の下級組織から、
彼女がもっぱら男性性器を食べるというので、その報告書が党中央工作組に提出された。
党中央は衝撃をうけ、八五年五月から六月にかけて数回にわたって、その実情について電話で聞き、
なぜ彼女を党から追い出さないかと、詰問した。結果的に明らかにされた事実は、彼女はただ人肉、
人間の肝を食べただけで、現在すでに党から除名処分を受け、一般労働者に格下げされたということ
だった。(「食人宴席」(鄭義 光文社) P62より引用) 穴掘って米蓄えた貯蔵庫の上に陣取ってただ飯食い続けた劉邦
あらゆる戦に勝ってきたけど飢えた項羽 羌という字は、羊+人 が由来で、家畜扱い(さらには食料扱い)されてた異民族だったのではないかという説も ■通州事件…盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日、
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■
『通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)−日本人皆殺しの地獄絵−』
★「通州事件 目撃者の証言」 (自由社ブックレット5) より 藤岡 信勝 (著) 自由社; 初版 (2016/8/7)
http://blog.livedoor.jp/itouansatu/archives/67990104.html
夫を生きたまま腹を切り裂き…「これはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろ」
…そうして、その妻である妊婦の腹を切り裂き胎児を取り出す
それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。頭の皮を剥いでしまったら、
今度は目玉を抉り取るのです。このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、
この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。
目玉を抉り取ると今度は男の人の服を全部剥ぎ取りお腹が上になるように倒しました。
そして又学生が青竜刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。縦と横とにお腹を切り裂くと、
そのお腹の中から腸を引き出したのです。ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。
人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。十メートル近くあったかと思いますが、学生が何か喚いて
おりましたが、もう私の耳には入りません。そうしているうちに何かワーッという声が聞こえました。
ハッと目をあげてみると、青竜刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。そしてそれだけではありません。
別の学生に引っ張らせた腸をいくつにもいくつにも切るのです。一尺づつぐらい切り刻んだ学生は細切れの腸を、
さっきからじっと見ていた妊婦のところに投げたのです。
このお腹に赤ちゃんがいるであろう妊婦は、その自分の主人の腸の一切れが頬にあたると「ヒーッ」と言って気を
失ったのです。その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。残った腸の細切れを見物していた支那人の
方へ二つか三つ投げて来ました。そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。
1937年 通州事件(つうしゅう)中国冀東保安隊による日本人虐殺事件。被害者約200名
・婦人は24時間強姦されたあげく鼻や喉に針金をつけられ殺害現場まで引き擦られる。
・旭軒では17〜40歳の女性はことごとく強姦され
陰部を銃剣で刺さたもの、口中に土砂を填めてあるもの、
腹部を縦に断ち割つて等にて惨殺。
・錦水楼では女性達は手足を縄で結ばれ強姦され、斬首。
・男は目玉をくりぬかれ、上半身は蜂の巣の様
・子供は手の指を揃へて切断され惨殺
・南城門では腹部の骨が露出し、内臓が散乱
・首を縄で縛り両手を併せて針金通し一家六名数珠繋ぎにして引廻し惨殺。
1928年 済南事件(さいなん) 中国兵による日本人略奪陵辱暴行殺人事件。被害者約400名
・頭および顔の皮をはがれ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除。
・顔面に刺創。地上を引きずられたらしく全身に擦創。
・両手を縛られて地上を引きずられた形跡。頭骨破砕。小脳露出。眼球突出。
・女性。全顔面及び腹部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離。
陰部に径2.5cmの木片を深さ27cm刺されている。
両腕を帯で後手に縛られて顔面、胸部、乳房に刺創。助骨折損。
・顔面破砕。両眼を摘出して石をつめる。
・助骨折損、右眼球突出。全身火傷。左脚の膝から下が脱落。
右脚の白足袋で婦人と判明した 酒の池や豪華な宮殿は分かるとして木々にお肉を吊るしてその中を男女が
マッパで駆けずり回るという趣味嗜好はどうにも理解できない>酒池肉林 ■通州事件…盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■
★「通州事件 目撃者の証言」 (自由社ブックレット5) より 藤岡 信勝 (著) 自由社; 初版 (2016/8/7)
▲そして細切れの腸をあちらこちらに投げ散らした兵隊や学生達は、今度は気を失って倒れている
妊婦の方に集まって行きました。赤ん坊を引き出すのに何か針金のようなものを探しているようです。
とそのときこの妊婦の人が気がついたのでしょう。フラフラと立ち上がりました。
そして一生懸命逃げようとしたのです。
このフラフラと立ち上がった妊婦を見た学生の一人がこの妊婦を突き飛ばしました。
妊婦はバッタリ倒れたのです。すると兵隊が駆け寄って来て、この妊婦の人を仰向けにしました。
するともうさっき下着は取られているので女性としては一番恥ずかしい姿なんです。
しかも妊娠七ヶ月か八ヶ月と思われるそのお腹は相当に大きいのです。
▲国民政府軍の兵隊と見える兵隊がつかつかとこの妊婦の側に寄って来ました。
剣を抜いたかと思うと、この妊婦のお腹をさっと切ったのです。赤い血がパーッと飛び散りました。
私は私の目の中にこの血が飛び込んで来たように思って、思わず目を閉じました。
それ程この血潮の飛び散りは凄かったのです。実際には数十メートルも離れておったから、
血が飛んで来て目に入るということはあり得ないのですが、あのお腹を切り裂いたときの
血潮の飛び散りはもの凄いものでした。
▲妊婦の人がギャーという最期の一声もこれ以上ない悲惨な叫び声でした
お腹を切った兵隊は手をお腹の中に突き込んでおりましたが、赤ん坊を探しあてることが
出来なかったからでしょうか、もう一度今度は陰部の方から切り上げています。
そしてとうとう赤ん坊を掴み出しました。その兵隊はニヤリと笑っているのです。
片手で赤ん坊を掴み出した兵隊が、保安隊の兵隊と学生達のいる方へその赤ん坊をまるで
ボールを投げるように投げたのです。
ところが保安隊の兵隊も学生達もその赤ん坊を受け取るものがおりません。
赤ん坊は大地に叩きつけられることになったのです。何かグシャという音が聞こえたように思いますが、
叩きつけられた赤ん坊のあたりにいた兵隊や学生達が何かガヤガヤワイワイと申していましたが、
どうもこの赤ん坊は兵隊や学生達が靴で踏み潰してしまったようであります。 ■通州事件…盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■
★「通州事件 目撃者の証言」 (自由社ブックレット5) より 藤岡 信勝 (著) 自由社; 初版 (2016/8/7)
▲この娘さんは既に全裸になされております。
そして恐怖のために動くことが出来ないのです。
その娘さんのところまで来ると下肢を大きく拡げました。
そして陵辱をはじめようとするのです。
支那人とは言へ、沢山の人達が見ている前で人間最低のことをしようというのだから、
これはもう人間のすることとは言えません。
▲ところがこの娘さんは今まで一度もそうした経験がなかったからでしょう。
どうしても陵辱がうまく行かないのです。
すると三人程の学生が拡げられるだけこの下肢を拡げるのです。
そして保安隊の兵隊が持っている銃を持って来てその銃身の先でこの娘さんの陰部の中に突き込むのです。
▲こんな姿を見ながらその近くに何名もの支那人がいるのに止めようともしなければ、声を出す人もおりません。
ただ学生達のこの惨行を黙って見ているだけです。
私とTさんは二十メートルも離れたところに立っていたのでそれからの惨行の仔細を見ることは出来なかったのですが、
と言うよりとても目を開けて見ておることが出来なかったのです。
▲私はTさんの手にしっかりとすがっておりました。 目をしっかりつぶっておりました。
するとギャーッという悲鳴とも叫びとも言えない声が聞こえました。
私は思わずびっくりして目を開きました。
するとどうでしょう。保安隊の兵隊がニタニタ笑いながらこの娘さんの陰部を切り取っているのです。
何ということをするのだろうと私の身体はガタガタと音を立てる程震えました。 中国でクールー病とか聞かないな
寧ろ発症地域は隔離されて抹消されそうだけど
遺伝的にプリオン耐性があるのかな 近年でも韓国芸能御用達の赤ちゃんカプセルとか流行ってたなぁ >>389
松江の鱸てでかいカジカ(?)のことらしいね
でも渓流魚だろうから、呉の一般庶民では生息地域を除いたら手に入りにくそう >>385
塩は今の山西省や四川省からも採れた
むしろそっちの方がメイン >>406
そうなんだ
岩塩採取はかなり古代から? 中国がジャップに稲作とか箸、器を教えなかったら
今でもジャップは木の実拾いとか潮干狩りして暮らしてた 中国さまから漢字教えてもらえなかったら
今頃、世界の隅っこの島の読み書きもできない土人として世界中から馬鹿にされてたね どうしても現代のモラルで見るからな。人を殺す場面は書けても 人を食べる場面は書けない >>410
流石にコメは無かったろうが、クリ、麻、ダイズ等を栽培していたからね
猪を家畜化して飼っていたようだし
文化面は中華の影響が大だけど、交流が無かったら独自の文化を昇華させたんじゃねーかな 人食ってた文献あるのかな?
三国志の時代なら曹操がジュンイクからかったり、劉備をもてなすために嫁を食わせた徳の高い人いたりしてるけど >>415
飢饉のときに人骨をたきぎがわりにし、互いの子供を食用に交換し、という記述はある。
またフィクションながら水滸伝では李逵をはじめとして人肉喰うヤツは多数 >人食ってた文献あるのかな?
安史の乱では、でっかい石臼で死体や生きた人間を粉砕して食べていたそうですなあ。 >>413
中国から文明授けてもらえなかったら
日本とかアボリジニみたいなもんでしょ
そんなとこに武装したポルトガルとかアメリカが来たら簡単に征服されてフィリピンみたいになってるよw >410ども
やかましい黙りやがれ〇゛ャッ〇゜連呼で名誉白人気取りのお前ら愚かな一部の中
国の面汚しである病的な反日主義どものせいで大多数の真っ当な中国人までもが迷
惑されんだろ失せやがれ中日友好の敵どもめ >>417
人肉ハンバーグ工場(カルシウムたっぷり)だと開高健がおちょくってたな >>418
物を知らない土人だなww
日本では鉄の無い時代に鉄より硬い翡翠に
穴を開けて磨いて勾玉作ってたんだぞ
支那に勾玉3個渡してる
支那にはそんな技術無かったからもちろん国宝になった
それに金印貰ったのも日本だけ
金印は支那が同等の国と認めた証拠 そんなことより、日本はラブライブ見る愛国者が少なく、反日売国ネズミ―wwwを見るテロリストがたくさんいる
売国アメポチ国家になってしまってるねん( ;∀;) >>422
今時、志賀島のニセモノ金印信じてるアホがいてワロタww 両脚羊なら事欠かなかったって史記に書いて有るぞwwwwww >>78
項羽は食べずに埋めちゃったよね20万人ほど 言葉が違うから、感情移入もしない。兵糧としての人間。 チョーセンジンのように ウンコを食料とするのが
究極のエコだと思う ■病気の祖母にウンコを食べさせる事が、現代でも朝鮮では美談として「子供の絵本」にもなっています
鍋にウンコをして祖母に食べさせる所が画かれた朝鮮の絵本(画像あり)
朝鮮伝統の人糞酒「トンスル」は今も売られていた
http://blog.livedoor.jp/itouansatu/archives/49565543.html
■荒川五郎 衆議院議員の見た朝鮮…20世紀になっても…朝鮮人は、人間より獣に近い■
京城 (現在のソウル) ですら ”未開の土人” や ”乞食のような朝鮮人” がうろついており
風呂に入る事すら知らず、自分の小便で顔を洗う事や大便を食べる事に驚いた様子を綴っている。
★【最近朝鮮事情 〜朝鮮の人々】 1906年5月25日発行 著者: 荒川五郎 衆議院議員
・朝鮮人は一体に男子は顔が長くて、気の長いのを表している。しかし女の顔は短いのが多いようだ。
口元や顔の按排式は何処と無く無頓着のたちが見えて、実に衛生だの病気だの無頓着千万、
そこになると悪く言うようだが人間よりか獣に近いと言ってもよいようである。
・道を歩くにもノソリノソリ牛が歩むように、又わけもなく道ばたの名も知れぬ草の芽など取って食っている。
大きな棒でなぐられてもシイて痛そうにもせず、あちらに行け邪魔になると追いまくられても
ブラリブラリ愚図ついている有様などは、牛に近いと言ってよい。
・朝鮮人の不潔と来たら随分ヒドイ。てんで清潔とか衛生とかいう考えは無いから、如何に不潔な家でも、
如何に不潔な所でも一向に平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が交じっていても、
更に頓着せずにこれを飲む。実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。
・更に驚くべく信じがたい程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなると言うている。
又小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効だと言ってこれを用い、又強壮剤だと言って
無病のものでも飲んでいる。いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、
大便を食べさすというとも聞いている。何と驚かしいことでは無いか。
・塵やゴミがばらけてようが、物が腐って臭かろうが、食い物には蠅がたかって汚しても、
更に何とも思わないで、年中風呂に入るの、湯を使うのいうことは無い。
・小便壺は大抵室の中に置いてあって、大人でも子供でも、客の前であろうが、誰が居ても構わず
ジャアジャアと小便する。又その小便器を口の側に持って寄せて唾を吐き込む。彼らは久しい慣習で、
別に何とも思わぬらしいが、日本人の眼から見れば如何にも見苦しい、たまったもので無い。
・夏など穴のような家の中はもちろん蒸し暑いものであるから、たいていは家の外に露宿をする、
その頭元には糞や小便が流れており、悪臭はふんぷんとして鼻をつく程でも、朝鮮人には感じが無いらしい。
【国立国会図書館、近代デジタルライブラリー】
ttp://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010268&VOL_NUM=00000&KOMA=55&ITYPE=0 >>24
粥の量では?
兵士なんて一日中走ってるからな おまえら冗談めいているが本当に動くものは全部喰っちまうのが支那の軍隊だぜ?
全部ですよ。全部。 >>92
写真があったな。腹だけ開いてあって、肝臓が
なかった。すごい映像だった。 ご飯が一合で150グラムで炊いたあとが約350グラム。
江戸時代の庶民はおかずが全然無いからその分ご飯を毎日五合くらいは
食べていたって言うからそれで約1.7kg、秦代だってまともなオカズなんて
無かっただろうからそんなモノでは? 戦乱の後半になってくると、本当に支那大陸全体の動植物を全て食いつくして、官営の食料備蓄都市の争奪になる。
そこを最後まで死守した連中が次の王朝を作る。他は餓死するか喰われてしまうんだ。 >>130
すごい世界だな。
獣でも出来ないことだよ。
おそろしすぎる。 長平の後始末で白起も相当数の趙兵を坑したね
坑しただけなのかね それを何度も何度もやってるから砂漠化がとまらない。
全て食ってしまうからな。 そういえばYouTubeに人間を開きにしてつるしている映像があったな。恐ろしい映像だった。 基本、焼き畑農法。
植物は焼きつくし、動物は食ってしまう。
動物は食ってしまう。 秦滅亡後の楚漢春秋では敖倉という食料備蓄基地が焦点になった。
そこに引き籠った漢のロイヤルニートが勝ち、飢えた楚は崩壊した。
楚王・項羽は追っ手に五体をバラバラに解体された。
合掌。
お上がり下さい。
いただきます。 今でも人肉食ってたからな
文化大革命 紅衛兵 人肉
これで検索 中国の歴史には人間を食った話がウジャウジャ出てくる。
飢餓で食った話もあるしグルメの王様の求めに応えて
料理人が自分の子を調理して食わせたという話も。
北京原人の化石にも食人の痕跡があったという。
人食いは中国5000年の伝統。 ジャップは中国が伝えるまで字が書けなかったから
人食の記録が残ってないだけだろ
日本の最古の歴史は何もかんも中国の書物だよりなんだから 古代から文化大革命迄、人を美味しく食っていたアル。
心臓、肝臓は美味らしい。 いまどきジャップて使うの、反日在日でも限られてると思うんだよね
おれは別板のとあるスレにいるけど、そこのある人物と似てるんだよ
ちな東亜でもハン板でも、ジャップ表現はほとんど見かけなかったけど(こいつを除く)、他にもいるのかな 粟ってカロリー意外とあるんだな。米と大して変わらない。
これでうまかったら食料事情変わっていただろうな。 アワの方が保存が効くし、栄養価も高い
なのに何故にコメと比較して拡散せんかったのかと考えればやっぱり味覚の問題か?
されどほんの昔まで、コメと言えど玄米として食べられていたしな >>438
で、江戸の庶民が食ってたのは白米なんで、ビタミンBの欠乏が慢性化して脚気が流行したと言う >>410
稲作は東南アジア起源、箸は縄文時代からあったし、器?日本の土器のが古いが
そもそも稲作等々は我々の先祖が大陸から移住した際に一緒に持ち込んだもので、別にシナーに教わったわけではない
あと当時の大陸にいた人種は今のチャンコロとは別人種
DNA調査でも2000年前と今では同じ場所でも全く違う人種が暮らしていたことが判明している
大陸特有の大量餓死・極限までのコロシアイ・異民族流入でまるごと入れかわっとる
漢字を発明したのもおまえらが東夷とかバカにしてた異民族
なに恩人面してんだよ、シナもチョンも 文字としては「粟」より「米」のほうが昔からあったっぽいけどな >>1
遠征時は基本現地で略奪だべ。
まぁ、これは中国に限らず当時の大陸なら東から西までみんなそうだろうけど。 中国軍は人肉を食べていたよ
日本の小説等ではカットされてるけど
三国志の英雄とかでも敵を殺して人肉を食ってる >>458
江戸が玄米を避けてたのは薪の節約の側面もあったらしい。
白米のほうがかなり早く炊ける。 >>458
地方から奉公に出る際には江戸病に気を付けてなんて言われたらしいな >>466
少ない燃料で早く炊けてその上美味しかったらそりゃ誰も玄米なんて
食べませんよね…当時はビタミンなんて概念無かったんだし キングダムでも人肉食って食糧事情を解決した飛信隊が大活躍予定です。 そりゃー数十年前にも、人肉くってる中国人ですもの。 >>473
北は麦、南は米
まあ中原と言われるあたりは麦か。 >>2
敦煌って映画でも、三田佳子が食用で売りに出されてたんだよね。
グラムいくらみたいに。 >>347
いや孔子の頃は人間だけだよ。
刑死した人間の肉の塩漬けって意味しかない。
それ以外の意味が出てくるのは後代になってから。 >>310
いや、文革時代の食糧難を乗り切るためにも食ってるし
今でも人肉カプセルがあるしな >>477
アホか、ひしおにはただの肉の塩漬けの意味しかないぞ 中国の歴史古代の歴史を知るものにとってシベリア出の漢民族の中国4000年の歴史など無かったわけで
実態は元寇のシベリア地域のモンゴル支配で今の中国人達がシベリア地域から南下して中国大陸に染みついてるわけだから
実際の中国漢民族の歴史は13世紀の元の時代からでこれは今の朝鮮人達とて同じ
元寇のシベリア地域から13世紀から南下したところが朝鮮半島で今のシベリアエベンキの朝鮮人達で高麗時代から李氏朝鮮時代へ
結局全て古代の歴史の中国はウイグルチベット人達の支配下の歴史文化
今の中国人達がわかるはずもなく秦の国すらヘブライ人達が建国し始皇帝もヘブライ人
食文化の違いは違うのは当たり前
饅頭自体元寇からの文化で中国元の時代以降
饅頭自体人肉饅頭とかの話は元以降の話で孔子自体はウイグルチベット人だったからこのチベット文学の思考があったわけで
孔子の人肉の肝を食べた習慣はチベット文化のカナン文化の思考習慣があったからで古代の中国は2000万人から3000万人ほど
中国人達の人口爆発は清後期以降からで20世紀以降急速に人口爆発進む ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています