この騒動で最も重要なことは、韓国人にとっての謝罪要求の意義である。

普段は韓国から日本に求められる謝罪賠償。
それを今回、河野外相から韓国議会長に向けて行われた謝罪要求。
韓国側の反応は目を見張るものがある。
曰わく、無礼である。
戦争責任のある(らしい)日本から被害者の韓国に謝罪を求めることは無礼なのだそうな。
下の立場の者が目上の御方に謝罪を求めることは、韓国人の価値観においては無礼であるらしい。

では、普段の謝罪と賠償の要求はどうなのだろう。
これまで恒例行事的に行われてきた首脳会談においてさえ、謝罪と賠償は常にあった。
韓国にとって日本との関係は、あらゆる場面で上下関係が存在し、無礼な態度をとることが許される力関係だということが如実である。
それをこの度真逆をカマされたから韓国人は侮辱と感じているのだ。
裏返すと解ることは、、韓国にとって、日本は常に韓国に対して屈辱を感じて生きているべき生物なのである。
普段から要求される謝罪と賠償には、日本人には到底許容できない意味が込められているのである。
決して未来志向だのツートラックだのといった前向きでもないし御都合主義でもなく、ただひたすらな自己満足と両班(古代の特権階級)への夢想にまみれた欲望なのだ。


最後に、この騒動の大元の発言を振り返ろう。
「天皇の息子が一言謝るだけで」云々。
つまり、こう言っているのである。

“親玉の日王が上下関係を理解し受け入れろ”