【中央日報】米軍撤収を防いだ「第2次仁川上陸作戦」37人の特攻隊[3/5]
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1951年1月4日、我軍はソウルを奪還されて後退した。米第8軍司令官マシュー・リッジウェイは我軍の戦力が劣っていないにもかかわらず劣勢になる理由は心理的な問題だと判断して反撃を決心した。当時、米国は非公式ラインを通じて休戦を提案した状況だった。これを共産軍側が受諾して交渉が開始されれいれば、今日の休戦ラインは平沢(ピョンテク)−三陟(サムチョク)の間に形成されていたかもしれない。しかし主導権を握っていた共産軍側はこれを拒否した。
問題はそれだけでなかった。もし現位置から50キロ後方の錦江(クムガン)まで後退することになれば、米国は韓半島(朝鮮半島)を放棄して軍を撤収することも考えた。したがって大韓民国が生き残るにはとにかく戦線を北側に押し上げなければならなかった。しかし前年の秋のように大々的な北進はすでにあきらめ、ひとまず漢江(ハンガン)までばん回するのが目標だった。リッジウェイはただ軍事的な観点でソウルを眺めた。
未練なく放棄して1.4後退を断行したほどソウルは防御に不利な位置だったため、ひとまず戦線を安定的に維持できるところまで押し戻すことを決心した。そのためには付近にあらかじめ拠点を確保するのがよかった。リッジウェイは前年9月15日の仁川(インチョン)上陸作戦を思い出した。戦線が構築された北緯37度ラインからかなり離れているが、本格的な反撃を開始する以前に仁川港を先に奪還しておけば非常に有利になると判断した。
当時の仁川は制海権がなかった共産軍の立場では難しい存在だった。戦線全体で見ると西側に離れたところであり、戦力を分けて配置することも、かといって防御をあきらめることもできなかった。一方、我軍にとって仁川はソウルに向かう最短進撃路として重要な物流拠点だった。1950年秋の第1次仁川上陸作戦があまりにも有名であるため、1951年冬の第2次仁川上陸作戦はあまり知られていないが、歴史的な意義は非常に大きい。
第2次仁川上陸作戦の仁川港奪還任務は米極東海軍第95機動部隊に付与された。司令官のアラン・スミス提督は韓国海軍のハム・ドクチャン大尉に偵察命令を出した。その結果、駐留中の共産軍が少数だったため国軍単独で仁川港奪還が可能な状況と確認された。これを受け、徳積島(ドクチョクド)に配置された海兵隊1個中隊が上陸軍に決まり、これを支援するために韓国初の戦闘艦「白頭山(ペクドゥサン)」(PC−701)とYMS−301、302、306掃海艇が近隣に次々と到着した。
国軍は2月10日の満潮時間の午後6時に上陸を敢行することにした。ところが作戦当日に予期せぬ問題が発生した。悪天候で徳積島に駐留していた海兵隊の搭乗が遅れ、満潮に合わせた上陸は不可能だった。急報に接した「白頭山」のノ・ミョンホ艦長は、仁川港に接近した各艦艇から志願者を募集して上陸部隊を編成した。その結果、計37人の志願者で構成された特攻隊が組織された。
午前7時に京畿湾に布陣した米第95機動部隊の支援砲撃が始まると、そのスキに特攻隊が造船機械製作所埠頭(現万石埠頭)に上陸した。橋頭堡を確保したキム・ジョンギ少佐はそれぞれの目標を制圧した後、午後9時までに気象台高地(現自由公園)に集合するよう命じた。大部隊が上陸したように欺まんするために「第1大隊突撃前へ、第2大隊突撃前へ」と叫ぶと、共産軍は戦意を喪失して逃走した。
ついに午後9時に我軍は仁川港を監視できる気象台高地を確保し、戦闘は幕を下ろした。規模が小さくあまり知られていないが、作戦の意義は大きかった。サンダーボルト作戦と命名された反撃当時、仁川西側の側面を我軍が占領すると、背後の遮断を恐れた共産軍は応戦をあきらめて漢江(ハンガン)を渡って北に退いた。第2次仁川上陸作戦は闇の中の光のような勝利だった。
https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=250899&servcode=a00§code=a20
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]2019年03月05日 16時08分
https://i.imgur.com/5s80yWW.jpg
開戦初期に大韓海峡海戦を勝利に導いた韓国初の戦闘艦「白頭山(ペクドゥサン)」(PC−701)。第2次仁川上陸作戦でも大活躍した。(写真=海軍) >>46
アメリカ軍から『タダ』で貰ったんだってサ (´・ω・`) >>41
>彼がいなかったら今頃韓国なんて存在してない
ちっ、余計なコトを。
どっちも共倒れが最高なのに… (´・ω・`) 白将軍の名誉をそろそろ回復しろよ、嘘つき朝鮮人ども 一か月もすれば
こうして仁川を日本軍から奪回したニダって話に書き換えられてるだろう >>60
そうすると、日本軍の撤退先は『釜山』になるんだが… 李承晩が元日本軍兵士を起用しなかったので釜山にまで
追い詰められたんだよな。
本当の英雄を忘れたチョン人には未来はないだろ。 四日だかで釜山の一角を残して占領された南朝鮮人が何言ってんだ?www 仁川に向かった国連軍の多くの艦船は日本人が操舵してたって
何かの番組だ言ってた >>65
多分2月3日のNHKスヘ?シャル「朝鮮戦争 秘録〜知られさ?る権力者の攻防〜」だね 韓国は胡散臭い独立烈士笑()より白将軍のような真の英雄を厚遇すべき
朝鮮戦争助けた日本にも感謝しろ なのに、
米軍撤収に向けて心血注いでいるムンムンを過半数が支持という地獄 そもそも劣勢になったのが泣きながら逃げ惑うチョンのせいだっつーのww よく考えるとリッジウェイって凄いよな!
下チョンの味方しててなおかつ休戦まで持ち込んだんだからなあww
マッカーサーなら間違いなく核ぶちこんでたのにww >>7
そもそも李承晩が日本を攻めようとしなければ北朝鮮が背後から攻め込む隙も生じなかった コリアンフェイクの公的なまとめサイトが必要だよなあ。
外務官僚も、勉強不足なうえに、次から次へと、膨大なフェイクで畳み掛けられて、
反論する対応がまるできていない。
反論するときに「またいつものつじつまの合わない、支離滅裂な妄想、
詳しくは、コリアンフェイクのデータベース見てね」みたいなことができるように、
業務を改善していかないと。 仁川(インチョン)上陸作戦は見事なものだが、
それが2次というようなものであっても、
逃げる、裏切るのが本能の朝鮮土人を参加させたとは考えられない。 これが真実だよ バカチョン
■「韓国守る必要なし」トランプ氏に喝采送る米有権者 ★朝鮮戦争で「敵前逃亡」ばかりしていた韓国軍に“根深い”不信■
朝鮮戦争で米軍中心の国連軍を率いたマシュー・リッジウェイ将軍の、困難な“朝鮮戦争後半戦”をしのいだ名将は
◆自著「THE KOREAN WAR(朝鮮戦争)」(日本語版・恒文社)◆
で、韓国軍のありのままの姿を描写している。
★⇒「韓国軍の態度だけが私の悩みだった。進撃する中国軍は韓国軍部隊を次々と敗走させ、
そのたび韓国軍は補充困難な、高価な多数の(米国供与の)装備を放棄した」。
★中国軍の攻勢に韓国軍が「戦線の遙か後方まで駆逐され」た。そして「退却する韓国軍が放棄した装備は、
肩をすくめるだけで済むものではなかった。それは完全装備の数個師団を充分に装備できた」と嘆いている。
武器を放り出して敵前逃亡するのは韓国軍の常だった。
★リッジウェイによれば「李承晩大統領の第一の課題は、彼の軍隊に充分な統率力を確立することであった」が、
李大統領自身が、戦争勃発時に民衆や軍を置き去りにして韓国南部へ逃走を続けた人物だ。
そんな最高司令官に倣ったのか、韓国軍の敵前逃亡癖はなおらなかった。逃げる上司と、逃げる部下…。
2年前のセウォル号沈没事件を彷彿させる。
★誰より韓国軍を弱兵と見下し軽蔑していたのは中国軍だった。戦線に突破口を開こうとする際、中国軍は、
英軍やトルコ軍、米軍の担当戦線区域ではなく、常に韓国軍の担当区域を攻撃し、もくろみ通り韓国軍は総崩れとなった。
リッジウェイによれば「韓国軍1個師団の崩壊によって、他の国連軍部隊の各側面が危険にさらされ、彼らもまた後退を余儀なくされた」。
★朝鮮人って、古代から現代まで、いつの時代も「臆病者」で「卑怯者」…アメリカも判っただろw 在日チョーセンて、祖国を見捨てて日本に逃げてきた卑怯者と
チョン国では言われているらしいが
どちらも似たり寄ったりだよなw そのうち、朝鮮戦争は、アメリカ軍はい来なかった、独自の軍隊ということになってる。
歴史は作られる。つくるのは簡単だよ、実際はどうかな。 >>1
韓国人が勇敢に戦ったという話がちらほらあるけど、朝鮮戦争で司令官をやっていたマシューの自伝を読むと、とてもじゃないけど信じる気にはなれませんね。 >>81
勇敢に戦ってたから、後方勤務にまわされません >>76
>「THE KOREAN WAR(朝鮮戦争)」(日本語版・恒文社)
日本語訳が出てたんだ。
英文のペーパーバックしか持っていないから、買ってみようかな。 37人なら相手は非武装の民間人2〜3人ってところか 特攻隊っつーより、決死隊とか白襷隊って奴だろ?これ。
>>48
北の方も「睨んだだけで戦闘機を落とした」みたいな話を持ってるから
掛け声だけで敵を撤退させることも出来るんじゃね? >>20
白頭山は元々大戦中に建造された
アメリカ海軍のPC-461級駆潜艇で
韓国の技術なんか一つも無いよ アメリカは
韓国が日本との約束を守らないのを見て北朝鮮と同じく
朝鮮民族は約束を守らない民族だと分かったはず。 当時は日本人として軍事教練を受けていた朝鮮人もいただろうから
少しは勇敢な兵もいたのかもしれない >>86
まあそうでなくても世界一の巨大戦艦とちっぽけな駆潜艇を比較して悦に入るのも大人げない話だな >>59
文なら白将軍のせいで統一できなかったとかいいそう 小さなOODAループを回し、敵の大きなOODAループを崩すというやつで
現代機動戦のお手本として有名な奴じゃないかな
記事ネタの提供者は韓国陸軍で士官教育を受けた人だと思うぞ でかい声とクソの投げ合いだけで敵軍を撤退させる正に朝鮮人しか出来ない戦術だ、ところで北朝鮮との統一後はその英雄兵士は語り継がれるのか? 時系列がオカシイ。
>サンダーボルト作戦と命名された反撃当時、仁川西側の側面を我軍が占領すると、背後の遮断を恐れた共産軍は応戦をあきらめて漢江(ハンガン)を渡って北に退いた。
これが、1951年2月10日に;第2次仁川上陸作戦が行われた影響だとするなら、
サンダーボルト作戦より前に;第2次仁川上陸作戦が行われないとならないが、
2月5日にはサンダーボルト作戦が終わって、次のラウンドアップ作戦が始まっている。
で、2月10日はラウンドアップ作戦が一応終わった日だ。 >>80
それだと韓国戦争で連合国と日帝を追い払った戦勝国()という肩書きが無くなるからアメリカ軍はいるんじゃないかな
やるとしたら逃げまどうアメリカ軍を勇猛果敢な韓国軍が守りつつ戦ったとかそっちじゃないか >>90
>白将軍
その人、色々伝えられてる人だけど、どこまで本当のことかは怪しいと思ってる 相変わらず白将軍の事はスルーする馬鹿朝鮮人
そりゃそうだわな
白将軍曰く、独立軍など存在しなかったと証言してるからなwww >>1
あらあらw 中央日報までが、米軍撤退の動きに慌てているなw
もう手遅れだけどな。 で、ここから何をどうやって、日本に勝利したんですか?w アメリカで制作された朝鮮戦争のいくつかの記録映像見ても軍に関してはアメリカ軍と中国軍しか出てこないんだが
北朝鮮軍と韓国軍には一切触れられて無かったぞ > 1951年冬の第2次仁川上陸作戦はあまり知られていないが、歴史的な意義は非常に大きい。
朝鮮人は、何でも二番煎じだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています