日本の植民地時代の朝鮮半島で起きた「三・一独立運動」や独立を目指す人々が中国・上海で組織した「大韓民国臨時政府」創立から百年を迎えた韓国で、女性独立運動家らへの注目が高まっている。失われた祖国を取り戻そうと男性と同じように闘ったが、正当な評価を受けてこなかった女性たちに、光が当たり始めた。 (ソウル・境田未緒)

 韓国で独立運動家といえば、小学生でも名前が言えるのが柳寛順(ユグァンスン)。一九一六年、韓国の名門大・梨花(イファ)女子大の前身である梨花学堂に入学し、一九年の三・一独立運動当時、故郷の天安(チョナン)でデモ行進を主導して逮捕された。デモで両親が亡くなり、自身も十七歳の若さで獄死した悲劇性やカリスマ性で「韓国のジャンヌ・ダルク」とも称される。

 三・一独立運動から百年を迎えたことし、柳を主題にした映画二本も公開された。だが、長年、女性独立運動家の研究を続けてきた韓国の詩人、李潤玉(イユノク)さん(59)は「昔も今も、女性独立運動家は柳寛順しかいない」と指摘。他の女性運動家の注目度はまだ低いとみる。

韓国ではこれまでに独立貢献者として一万五千五百十一人が国から章を受けた。うち女性は四百三十二人で2・8%にすぎず、その中の七十五人はことし受章した。柳は五等級のうちの三等級にあたる「独立章」を受章しているが、貢献度に比べて低すぎるとの声があり、大韓民国臨時政府主席だった金九(キムグ)らと同じ一等級の「大韓民国章」がことし、追加叙勲された。

 韓国外国語大で日本語を教えていた李さんが女性独立運動家に関心を持ったのは九七年、学生交流のため韓国の学生を連れて日本を訪れたときだった。東京・神田の在日本東京朝鮮YMCA会館(現在の在日本韓国YMCA)で、一九年二月八日、日本からの独立を宣言した留学生らの中に金瑪利亜(キムマリア)、黄愛施徳(ファンエシドク)という二人の女性がいたことを知った。

 他の女性独立運動家のことも知りたいと本などを探したが、見つからなかった。自分で調べて紹介するしかないと二〇〇九年から十年がかりで、女性受章者二百人を計十巻の本にまとめた。大学の仕事を辞め、生涯や足跡を訪ねて中国にも足を運んだ。しかし関心を持つ出版社はなく、自費で発行を続けた。

二百人の中には、柳寛順と同じ刑務所に収容されて十七歳で獄死したが、北朝鮮地域の出身だったため知られることのなかった少女もいた。学生のほか済州島(チェジュド)の海女、教師など年齢も職業もさまざまな女性たちが独立運動に身を投じていた。

 現在、生存している三人の女性受章者のうちの一人、呉姫玉(オヒオク)さん(92)は中国で家族全員が大韓民国臨時政府の軍事組織の一員などとして独立運動に参加した。父親は一九六二年、姉の夫は六三年に受章したが、本人と姉は九〇年、母親は九五年にようやく受章対象に。母親と姉は死後の受章だった。

 女性に長らく光が当たらなかったのは、書類や写真などの記録が少なく証明が難しい面もあるが、李さんは「女性独立運動家への関心がなかったから」と指摘する。国内の空気が変わったのは四年前。臨時政府による暗殺団の活躍を描いた映画の主人公が女性だったため、関心が寄せられるようになった。その後、「#MeToo」運動の高まりなどもあり、政権交代を機に女性の受章者が増えた。百周年の「目玉」を探していたマスコミの関心を集めた面もある。

だが、一時的な関心は冷めやすい。三月二十七日にソウルで始まった女性独立運動家の展示会では、陳善美(チンソンミ)・女性家族相が「照明が当てられてこなかった多くの女性独立運動家を発掘している」と強調。李さんも「単なるブームで終わらせないでほしい」と訴える。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201904/CK2019040302000282.html
東京新聞 2019年4月3日 夕刊

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1919年、現在のソウルで「独立万歳」を叫びながらデモをする女子学生たち=独立記念館提供

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1940年、韓国革命女性同盟の創立総会に参加した女性たち=李潤玉さん提供

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「女性独立運動家がいたことを記録、記憶していかなくてはいけない」と語る李潤玉さん=境田未緒撮影

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一家で独立運動に取り組んだ呉姫玉さん=李潤玉さん提供

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ソウル市内で開かれている女性独立運動家を紹介する展示=境田未緒撮影