むしろ、いろいろなことがあって個人的な怒りを天皇陛下にぶちまけたというのが
真相らしい。
昭和3年(1928年)11月、同じ下宿先の人夫仲間、山住という朝鮮出身者および前田政二
(日本人)の三人で、即位の礼を見物して昭和天皇のご尊顔を仰ぎたいと京都に行ったが、
ハングルと漢文の混ざった手紙を持っていたというだけの理由で、京都府警特高課に
予防検束され、11日間拘置所に入れられた。
調書によると、日本名を名乗り日本人と同じように振る舞っても朝鮮人扱いされる差別に
憤激したと言い、この件がその後の犯行に至るきっかけとなったと主張している。