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私は、6月10日付当ブログ記事で、「民度とは特定の地域・国に住む人々の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指す。」と説明した。
確かに「民度」という言葉は幅広く解釈して使われることが多いと思う。
今回の麻生太郎の場合は、翌日の6月5日以降、「他の国は強制力を持ってしても(死亡率を抑制)できていない。暴動が起きたり、外に出たりしている。
日本はお願いモードだけで、これだけ(抑制)できた」(6月5日)や、「一番違うのは、靴を脱ぐということじゃないの?…強制力なんてやってんだから、韓国と一緒にせんでくださいよ。
私どもとしましては、強制力なく、みんなで自主的にやったってのが一番すごいんじゃないですかね。一番肝心なところは要請しただけで、
国民が皆賛同してやったわけでありまして、国民として極めてクオリティが高いと思います。」(6月9日)などと具体的に詳しく説明していることからも、
民度を行動様式や生活様式や自主性や自主的な規律遵守度合や協調性や教育水準などの意味で使用している。
したがって、共同通信が「民度」を【the level of social manners】と英訳したことは、悪くない。
ところが、朝日新聞は、英語ニュースサイト(英語版)【The Asahi Shimbun Asia & Japan Watch】(AJW)で「民度」を【superiority】と英訳した!