「誰でも旅人、迷い人」。在日コリアン2世で、ゲイであることを公表している岐阜市のシャンソン歌手今里哲さん(68)の歌に、観客は心を動かされる。差別や偏見を乗り越え「苦しんでいる人を歌で慰める」との使命感がシャンソンを通じて伝わるからだ。今里さんは「寂しくない人間はいない。相手を思いやる愛を持とう」と全国各地で歌い続ける。

 大阪市生野区で7人きょうだいの末っ子として生まれ、生活苦と差別に向き合いながら育った。小学校入学前に父親の会社が倒産。小学生になると新聞配達で家計を助けるようになり、高校は自分で学費を稼いで通った。

 小さい頃に「朝鮮人」と石を投げられる経験もした。一番悔しかったのは、高校で成績が常にトップだったにもかかわらず、就職先がなかなか決まらなかったことだ。主な要因はやはり「在日」だった。

 初めて自分がゲイであると自覚したのは18歳の時。横浜市のコンピューター会社に入社し、研修中に同僚の男性に恋心を抱いたのがきっかけだった。まだ性的少数者への偏見が根強い時代。「在日2世でゲイの自分は一体何者なのだろうか」と思い悩んだ。

 だが約2年後、「心にうそはつけない」と自分らしく生きると決意した。大学への進学を決め、それまで名乗っていた「国田哲夫」という通名を捨てて本名の「鄭哲」で岐阜大に入学。在学中、アルバイト先のスナックで少年時代から好きだった歌を披露するうちに、プロを目指そうと決めた。

 1987年にデビュー。得意のおしゃべりと、自身の経験からくる怒りや哀愁が漂う歌声が評判となり、全国からコンサートのオファーが来るようになった。2007年には母校である大阪市の高校の校歌も作詞した。「人生は巡り合わせで、挫折がなかったら今の私はない」と振り返る。

 現在は、岐阜市で経営する「シャンソン古城里」で定期的にコンサートを開き、シャンソン教室を主宰している。デビューから33年。「人生は自分で決めるもの。何でも楽しまなきゃ」

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